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地球人のためのスピリチュアル・レッスン オープンクラス 2017年9月23日(土)

ニール・ドナルド・ウォルシュ~「必要の幻想」と「恐れ」について

2013年2月28日  /  コメント無し



今回は普段よりちょっと長めの動画にチャレンジしてみました。
ニールの語りもとても落ち着いていて、内容・メッセージ的にもわかりやすく、
誰にとっても気づきのキッカケになるのではないか~と思いセレクトしてみました。

「恐れ」や「不安」は、「今この瞬間に生きる」ことからちょっとでもズレてしまった時、
すぐさま差し込んでくる感情の代表的なものという意味で【時間の幻想】と深く繋がっているものですが、
今回ニール・ドナルド・ウォルシュの動画では
「恐れ」と【必要の幻想】の深い関わりについて語られていました。

ニールの提案は大きく2つありました。
1)「恐れ」につきものの【必要の幻想】を見直すこと
2)「恐れ」はどこから来るのかを知ること

私は何が必要だと思い込んでいるのだろうか?

「恐れ」とは・・・
「自分が必要であると思うものを手に入れることができないという思考」から生まれる感情である。
とニールは語っています。

そして具体的な提案として「恐れ」「不安」の感情が浮上してきた時の質問事項がありました。

1)「私は何が必要だと思っているのだろうか?」
2)「それが必要でないことは可能なのだろうか?」
3)「それが手に入らなかったらどうなってしまうのだろうか?」
(受け取れなかったら、体験出来なかったら、体験しなかったら・・・?)

「必要」という概念の裏側には「不十分」「不足」があり、
幸福感・平穏はある外の条件が満たされた時にもたらされるものであるというストーリーがくっついています。

そして、あまりにもそのストーリーにドップリと浸りすぎてしまい
常に「恐れ」と一体化していることにさえ気が付かず麻痺状態になっている人も多く存在しています。
それはエックハルト流に言うと「完全な機能不全状態」なのです。

この「恐れ」はどこから来るのか

1)すべては自分自身の状態が創造している現実である
ということを受け入れること、責任を持つということ
この地球での体験を選択したのは紛れも無い自分自身であるということへの認識を持つこと
2)永遠の魂としての私たちが今肉体に宿り、物理的次元での体験をしているということ
肉体的な死に対する認識を深めること
です。

この「恐れ」のストーリー、【必要の幻想】に目覚め、
「恐れ」を「冒険」にシフトさせていきましょう~ということなのです。

喜びも平安も幸福感もすでに自分自身の内にあり、
自分だけが自分自身を満たしてあげることができるもの~
それさえわかれば、何も恐れることはなくなり、
「恐れなき状態」で活力あるインスピレーションに導かれて生きていくことができる~

これが今回のニールからのメッセージであったと思います。

「恐れ」を誘発する要素は巷に溢れかえっています。
「恐れ」の感覚が近づいてきたな・・・と思ったら、深呼吸して自分自身に返り、
穏やかなスペースを感じながら今回のメッセージを思い出していきましょう。

感謝☆

【動画スクリプト】

ほとんどの人は「恐れ」から生きている

今地球上で最も重大な問題は「恐れ」です。
それは長い間問題だったのですが、現代非常に大きくなってきています。
それは日々拡大しています。

なぜこれが問題なのかというと「恐れ」はすべてに影響してくるからです。
私たちが考えること、言葉にすること、決断すること、すべてに関係してくるからです。
私たちの反応、行動、体験するすべては、2つのうちのどちらかの源からきています。
「神との対話」でそれはハッキリしました。
「愛」あるいは「恐れ」のどちらかから来るものです。

ほとんどの人は、ほとんどの場合、私自身もそれは認めるところですが
「恐れ」から生きていると私は思っています。
ですから、私たちは「恐れ」について
「恐れ」は一体どこから来るのか? 私たちは何を「恐れ」ているのか?
見ていく必要があるのです。
その決断から何を創造し、どんな影響を受けているのか?
そこに責任を取っていかなくてはならないのです。

ここで最初の「恐れ」の一つである「責任をとることへの恐れ」が出てきます。
「自分が創造していること全てに対する責任」というところに自分自身を置くことへの「恐れ」です。
「恐れ」というのは、人間が最初に持つ体験なのです。
私はそう理解しています。

この「恐れ」を癒すこと、変容させることを、私たちは一生懸命取り組まなくてはならないのです。
あなたが「恐れ」を変容させることが出来れば、世界を変容させることができるのです。
では、私たちが何を恐れているのか見てみましょう。

「死」への恐れから「生きること」そのものを恐れる

私の見る限り、まず私たちは人生(生きること)そのものを恐れています。
人生には色々なことが起こります。
私たちは人生(生きること)そのものを恐れています。
なぜなら「死」を恐れているからです。
「神との対話」で「すべての恐れは死を恐れることから生まれている」と言っています。
もしあなたが死ぬことを恐れていなければ、生きることも恐れることはないのです。

でも、どうしたら死ぬことを恐れないでいられるのでしょうか?
死とは何なのかがわかっていれば、あなたは死ぬことを恐れることはできません。
それがわかれば結果そうなります。生きるとは何なのかも分かります。
『神へ帰る』という素晴らしい本の中でこれらのことはとても詳しく述べられています。
私たちの死の瞬間、死のプロセス、私たちがこのようにこの世界で
生を体験しているのはなぜなのかが書かれています。
この課題に興味がある人は、是非この本を読んでみて欲しいと思います。
この本を読んだら深い所で死を恐れることが難しくなるからです。
その恐れがなくなったら、先程も言ったように生きることへの恐れもなくなるのです。
何も、誰も恐れることもなくなるのです。

「必要」の幻想に捕らわれる

なぜなら、すべての恐れは「私たちは何かが必要である」という思いが基本にあるからです。
「恐れ」の定義とは何か分かりますか?
恐れとは・・・「自分が必要だと思うものを手に入れることができないという思考」を言います。
単純明快です。

何も必要のない人は、何に対しての恐れもないのです。
あなたから何か必要なものがない私は、あなたを恐れることがないのです。
ある意味、私がこのある種特別な肉体的な形としての生命の必要性を感じなければ
この生命も必要がないのです。
たとえあなたが私を殺したとしても、あなたを恐れることはないのです。
それだけでなく、私を殺すのをやめさせようとすることさえ必要もないのです。
それが真の恐れなき状態です。
スピリチュアルなマスターたちはこの「恐れなき状態」にいるのです。

私が自分の恐れを見始める時、恐れを感じはじめる時
その恐れ対する思いに圧倒され麻痺され始めていった時ー
実際私たちは色々な時に恐れに麻痺状態になっているし、人によって頻繁に起こっています。
そこで私は「私は何が必要だと思っているのだろう?」と見つめてみるのです。
「ここで私は何が必要だと思っているのだろう?」そこが恐れの根源だからです。
「恐れ」には「必要」がつきものなのです。
ですから私は「私は何が必要だと思っているのだろうか?」と見つめてみるのです
「それが必要でないことは可能なのだろうか?」
「それが手に入らなかったら私はどうなってしまうのだろうか?受け取れなかったら?」
「必要だと思っていることを体験しなかったら、出来なかったら私はどうなってしまうのだろうか?」
と見ていくのです。

そこでです・・・
「恐れ」は2つのあり方で現われてくることが分かります。
一つは・・・自分が必要だと思うものが手に入らないという状態
もう一つは・・・自分が必要だと思うものを今手にしているけれどそれを失ってしまうという状態です。
特にこれは、人間関係という体験においてよく現れてきます。
もちろん、お金に対する不安、権力に対する不安、健康に関する不安・・・などもあります。

愛と喜びに必要なものは何もない

しかし、何にも増してほとんどの人が体験している「恐れ」というのは人間関係におけるものだと思っています。
特にロマンティックな繊細な人間関係、絡みあった関係においてはそうです。
まず「誰も私を愛してくれなかったらどうしよう」と恐れ
次に誰かが現れても「この恋人を失ってしまったらどうしよう?」という恐れです。

私がどうやってこれを解決していったかというと
私のやり方ですが・・・「魂の健康」という観点から見ていくということです。
「本当の私」から見直してみるのです。
そうすると実際、私は誰かからの愛も必要ないということがわかるのです。
本当の自分を体験するために他の人の愛は必要ないとわかってくるのです。
喜び、平安、幸せ感を体験するために他からの愛も必要ないのです。

私の喜びは手に入れるものであり、私の喜びは満たされるものであり
私の喜びは私の外からやって来るものだと思った時、恐れは必ずやってきます。
常に、私の喜びの源というのは私の外にあるのではなく
それは私自身によって私自身から与えられているものである
とハッキリさせていくのです。
そうなった時、私の恐れは消えてなくなってしまうのです。

そうすると意外なことに、私はもっと人から好かれるようになるのです。
人が離れていってしまうのではと心配していたのに実際はそうならず、
反対のことが起こり人々は私に惹かれてくるのです。
人から好かれている人はみなしっかりこれに気がついているのです。
深い所で自分とつながっているのです。
なぜなら、誰だって必要とされることは心地よくないものだからです。

もし私が、あなたに必要とされていることを強く感じてきたら
私はあなたが求めていることを差し出すことができないから
あなたを失ってしまうかもしれないという次の恐れが出てくるのです。
平穏で幸せで喜びに満ちた人々が世にもたらしているものは
心に本来備わっている幸せなのです。
このような人たちはみんな一緒だよ~というのです。

幸福感、喜び、平安は、自分の内面から来るものだということが
わかっている
人たちなのです。
スピリチュアル・マスターたちの言葉や精神世界の本にかかれているのもみんなこのことです。
でも、その体験は可能なのです。
それがわからなくては先に進めないのです。
それが「魂の旅路」だと私は思うのです。それが変革の道のりなのです。
それこそが「恐れ」から脱出する道なのです。

「恐れ」は「冒険」

誰かが教えてくれたのですが、FEARとは
Feeling Excited And Ready
(活力が湧いてきて準備万端整った)の略だと言いました。
言い当てていると思います。
また、私の師は以前『「恐れ」を「冒険」と呼びなさい』と言いました。
素晴らしい考え方だと思います。

そこで・・・今あなたが何を恐れているかわかりませんが・・・
いくつか認識を新たにしてみてください。
一つに、それは真実ではないということです。
恐れはあなたがでっち上げたものです。
二つ目に、もしあなたが恐れていたことが実際に起こったとしても
あなたも私も、何一つ変わりなく明日もまた生き続けるでしょう。
たとえあなたが明日いなくなってしまったとしても何一つ変わりはないのです。
3つ目に・・・あなたが自分の恐れを冒険と捉えることができたら
その恐れを癒すエネルギーを作り出すことができます。活力あふれるエネルギーです
人生そのものからインスパイアーされていくようになるのです。
なぜなら、人生というのは人生そのものを通して人生を変容させていくプロセスだからです。

もしあなたが活力ある恐れなきインスピレーションにあふれて生きることができたなら
何も怖がるものがなくなってしまうでしょう。
そして、それが大きな喜びとなるのです。それが私たちが本来あるべき姿なのです。
これで「神との対話」で神が教えてくれた「恐れ」について全部お伝えしました。
もちろん、私は全部間違っているかも知れません
でも、私はそうは思わないのです。

by Neale Donald Walsh


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