ロード中...
現在地:  ホーム  >  スピリチュアル・レッスン  >  私たちの本質/普遍意識  >  閲覧中の記事
地球人のためのスピリチュアル・レッスン オープンクラス 2017年1月29日(日)

「人と争うのはなぜですか?」ルパート・スパイラ

2016年11月16日  /  4コメント


偽りの世界観を真の世界体験へ

960x480-stencil-5254337650_876c421766_b-2世界の注目を一手に集めた次期アメリカ大統領選が決着をつけたとは言え、世界情勢の激動はさらに不透明な動き満載のステージに突入したようです。そんな中での今回の動画「人と争うのはなぜですか?」をまとめてみました。今この時代に、最も求められている人間のあり方は、外的なストーリーに翻弄され利用され続けてきた欺瞞に目を覚まし、「真の体験」への理解を深めていくあり方だと思います。その意味で、ルパート・スパイラの誘導的な質問による「直接体験から真実を見出す」セッションは、私たちの目からウロコを落とし、全人類の偽りの世界観を真の世界体験へといざなってくれるものだと感じています。

ウィリアム・ブレイクが言ったように、「その人が見るものはその人自身である」ということです。すべては私たちの自己から始まります。全ては私たちが自己をどのように見て、どのように体験するかによって決まります。

人間関係は潜在的な感情を浮き彫りにする

c5834527e1506eb7b65acc00cc3d0506なぜ、あなたが人と争うかというと、あなたが相手を恐怖に思っているからです。あなたは、向こうの攻撃から自分を守らなくてはと感じているのです。ですから、あなたは誰かに会う以前から、あなたには深い感情があるのです。あなたの心に恐怖が浮かび上がってくる前から、その感情があるのです。あなたが関わろうとしているその人は、あなたにとって怖い存在です。ですからあなたは、自分を守らなければという気持ちを抱きながら、その人と話すことになります。

ですから、その人との会話においてなされることのほとんどは、あなたが持っているその感情を単に投影するものとなります。あなたは、相手の脅威から自分を守らなくてはならない、自己防衛しなくてはならないと思っています。驚くべきことに、実際、相手があなたを脅しているように感じてきます。それは、彼らが実際脅しているからではなく、あなたがその関係性において自分を守るという態度を出しているからです。相手は、あなたの潜在的な感情を浮上させるために現れているのです。

自分を萎縮させるか、あるいは誇張させるか

では、なぜ私たちは、人から脅かされていると感じるような潜在的な感情を持っているのでしょうか?なぜなら、私たちにはそのさらに根底に「自分たちは破壊されうる対象であり、脅かされる対象である」という感情があるからです。関係性において、私たちは「自分を萎縮させるか、あるいは誇張させるか」ということをしているのです。

ですから、私たちが関係性を持つ時は、その関係性の中で、自分を誇張させようとする方向に向かうか(あなたの場合はこれではありませんね)あるいは、自分を萎縮させないように自分を守り抜こうとする方向に向かうかのどちらかなのです。あなたの場合は、後者になります。自分を誇張させようとする動きも、自分を萎縮させないように自分を守る動きも、両方共同じ動きです。つまり、どちらも分離した自己が永存していくためのやり方です。

ですから、好ましくない相手から自分を守る必要があるという感情の根本には、「私という存在は小さくて制限があり、壊れやすいものである」という信念があるのです。「私というのはいとも簡単に壊れるし、虐待されるし、正当に扱われない存在だ」と信じ込んでいるのです。あなたはそういう存在ではありません。

すべてはあなたが自分のことをどう感じているかによる

29066dbc7601f5325eb590b2519e8e3fこの何もない空間をどうしたら虐待できますか?どうしたらこの空間を痛めるけることができますか?映画の中の俳優がスクリーンの機嫌を損ねるために何ができますか?スクリーンが、カップルが別れることを気にしたりしますか?スクリーンが、試合でどっちが勝つか気にしたりしますか?そんなことはありませんね。どんなことが起こっても、まったく問題はありません。攻撃から守る必要も何もありません。本質は物体ではないからです。物体だけが防衛できたり、拡大したりすることができるのです。あなたが関係性の中で繰り返し体験している争いは、他者とはまったく関係がないのです。あなたが自分のことをどう感じているか、それがすべてなのです。人生のこの状況において注意を向けるべきところは、他者との関係ではないのです。お母さんとの関係でもありません。そこではありません。注意を向けるべきところは、あなた自身の中にあるのです。

体験のなかに入り込んで本質を見出す

christine-ellger3最も直接的で有効的なのは「本質としてのあなた」に真っ向から向き合っていくことです。あなたの本質を見出すのです。あなたでないものを向上させようと時間を無駄にしないでください。体や思考をどうにかしようと頑張らないでください。それらは後からついてくるものです。あなたの人間関係は、これを理解していくことでその副産物として次第に良くなっていきます。あなたの本質を見出すのです。私が「見出す」と言っているのは「考える」とか「そのことを話す」という意味ではありません。あなたの体験に入り込んでみるということです。

私とは、確かに「この広大なる自由な空間そのもの」なのだとわかるまで、自分の体験に入り込んでみるのです。すべての体験はこの広大なる自由な空間の中で起こっているのです。これは鈍感な空間なのではなく、すべてを知っている空間なのです。その空間に「私の思考」「私の母に対するイメージ」「隣の家の人の音」が現れているのです。これらが現れることを、すべて完璧に可能にしている空間が私の本質なのです。そこには何に対する意見もないし、好き嫌いもないし、好みも課題もないのです。人間関係から得るものも失うものも、何もないのです。「それ」を見出すのです。

質問者:問題なのは「好き嫌い」があることなのですか?

誰にとっての好きで誰にとっての嫌いなのですか?「誰」のことを話しているのですか?

質問者:私です!

本質であるあなたに意識を向ける

william-blake-in-the-styleこの自由な空間であるあなたに、好き嫌いはありません。この部屋の空間が、私たちがこの部屋に入ってくるたびに「彼女のイヤリングが好きじゃない」「彼のシャツが気に入らない」なんて思いますか?「彼女は素晴らしいわ、入っていいわ」「でも彼は嫌いだからだめ!」空間がそんなことをすると思いますか?しませんよね。その空間があなたなのです。なんでも知っている空間があなたなのです。そこにあなたの人生の出来事、好きだとか嫌いだとかが起こっているのです。好きだとか嫌いとやっているのは思考なのです。あなたではありません。思考には構わないでください。思考に意識を向けないでください。

あなたの本質に意識を向けてください。そこに「好きとか嫌い」があるかどうか、よく確かめてください。あるいは、あなたの本質は体験をあるがままに受け止める単に広がる無条件の空間なのか、それを確かめるのです。あなたがあなたの内面に見出さなくてはならないのは「それ」なのです。「それ」はものではありませんから、あなたの内面に探すのではなく「それ」自体があなたであることを見出すのです。自分自身とは「それ」なのだと知るのです。私は見せかけのことを言っているのではありません。それは、これらの物体があるのと同様に確かなものなのです。そのくらいはっきりわかるものなのです。「私の体験」を知り、「私の思考」を知り「私の感情」を知っている「それ」が私の本質なのです。でも「それ」自体が感情でも思考でもないのです。「私の感覚」「私のものの見方」を知っている「それ」。でも「それ」自体が感覚でも見識でもないのです。言い換えると、私というのは純粋に「知っているもの」、純粋な感性、純粋な空間なのです。

by ルパート・スパイラ


この後に読まれている記事

4コメント

  1. 武藤由季子 より:

    平山さん、こんばんは!

    この動画、とってもよかったです♪

    秋になってから、ほとんどYoutube自体をチェックしていなかったので、ひさしぶりに今日チェックしてみたら、この動画を観られることができました。

    このタイミング、この表現、何か、この動画の本質、とてもいい風を感じます~勇気が出ますね!

    ところで、今、英語を理解したいな、と思っていて、

    〉私とは、確かに
    「この広大なる自由な空間そのもの」
    なのだとわかるまで、
    自分の体験に入り込んでみるのです。

    この箇所の英語、ルパート・スパイラさんの表現をおしえていただいてもいいですか。

    ルパート・スパイラさんが、この動画の中でたびたび仰っている「空間」を、英語で、どう表現しているのかを知りたいです。

    拙い英語力では正確に聴きとれなくて。。伝わってくる、ことばの感じがシンプルな軽い感じで、翻訳も誠実さを感じます。あくまでも感覚、なので、気になります。

    お手数をおかけいたします。

  2. yukiko より:

    由季子さん、こんにちは!お久しぶりです。

    ご質問の箇所ですが、ルパートの表現は「I am obviously this openness, the wide openness.」です。このopennessは、「開かれたもの、大きく開かれたもの」と直訳できるかもしれませんが、「広大なる自由な空間」としてみました。ルパートは他にも「私たちの本質は、透明で、開かれた、空の、気づいているプレゼンス」と言った表現もしていました。空間という言葉にも「限界」があるようにも捉えられてしまうので、限界のないという意味を込めてのopennessだったのかもしれません。どちらにせよ、言葉にする時点で「限界を持つ思考の産物」になってしまいますね。後は、自己の直接体験しかありませんね!ぜひまた、オープンクラスにも顔を出してください!お待ちしています☆

  3. 島崎健一 より:

    平山さん、
    本当に参考になる動画、どうもありがとうございます。おかげで自分のすべき課題が理解できてきました。負けずに頑張って本質を追っていきたいと思います。
     またopennessの訳、故事の画竜点睛の竜の目のようなすばらしい翻訳だと感じました。また動画を楽しみにしています。

  4. 武藤由季子 より:

    平山さん、こんばんは!

    レスポンス、遅くなりました。
    ていねいなお返事、ありがとうございます!

    12月のオープンクラス、魅力的ですね~♪

    当日はクリスマスなのに、大家さんの大掃除に参加しますと昨日、大家さんの関係にお話したばかりなので、
    クラスには参加できないのですが、オープンクラスに自由な空間がありますよう、静かな声援を送ります。

    今、空間ということばを使ったのですが、空間といえば、

    「空間」とは何でしょうか?

    この動画を見てからずっと、「空間」について、観察したのですが、「空間」を理解できないことが深く理解できて、よかったです!

    たいていは、「空間」を「場所」もしくは、想念の集合体、空気感のようなものとして見ていて、

    また、宇宙の素材を「空間」と誤解している人も多いですね。現象としての空間は、宇宙を形作っている素材でできているけれども。

    ただ、「空間」の中に私たちがあって、私たちの中に「空間」がある。「空間」はあまねく存在して無限で、私たちが「空間」そのものなのに、理解できない。

    「空間」が、この肉体と感情体と精神体を通して表現し、刻々とすべての経験を「空間」が体験しているのに、何も知りえない、この静寂と渾沌。

    「Openness」も、この未知と渾沌、静寂から生まれた、ことばなんですね~

    英語は新鮮です!

    誤解があるといけないので、私の質問は、字幕翻訳の是非や優劣、ましてや、字幕が素晴らしくないとか素晴らしいとか、言いたかったわけではないです。

    平山さんを通して静寂から生まれたことばと、ルパート・スパイラさんを通して、静寂から英語で表現されたことばを、ただ、明らかにしたかっただけです。

    それに、静寂から直接、生まれたことばには、限界がないのでは?と思います。限界があるのは、こちら側の理解度と、歪みと曇りだけで。

    「openness」も、何て純粋なことばだろうと思って、感動して、「openness」で検索をかけて、他のYoutubeを見たら、ヘビや酔っ払いのような想念がいっぱいの動画も多かったです。面白かったけど、凄かった!です。

    クラスに参加できないと思ったら、コメントが長くなってしまいました。。

    ありがとうございます。

    また!お会いする日を楽しみにしています!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です