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地球人のためのスピリチュアル・レッスン オープンクラス 2017年7月16日(日)

「スピリチュアルという逃げ道」ガボール・マテ

2016年3月17日  /  1コメント


スピリチュアルに逃げていないか?

今回は、依存症治療、注意欠陥障害治療の権威であるガボール・マテ医師の動画「スピリチュアルな探求の心理について」を取り上げてみました。Dr.マテは長年の研究と経験の中で、病気、特に難病患者の治療に当たることが多い中で、その背景にはほとんどの場合「抑圧された感情的な痛み」があることを発見し、患者さんに「無視されてきた感情やネガティブ思考」に向き合わせて治療しているドクターです。ここでいう「ネガティブ思考」というのは、暗く悲観的な考え方という意味ではなく、「バランスを崩していること、調和していないことを見て、その原因を見ていこう」という意味でのネガティブ思考のことです。

Dr.マテのレポートで特に興味深いと思ったものに「ポジティブ思考な人ほど、身体的な病気が重く出る」というデータがありました。しかし、これを聞いて驚くというよりは「なるほど」という感じがするのは私だけではないと思います。というのは、一般的にはものごとを前向きに明るく考えるポジティブ思考は、あたかも順風満帆、すべてを解決してくれそうな装いを凝らしていますが、そのポジティブ思考の背景には、現実を直視せずに、大袈裟に言うと無理やり楽観的に仕向ける「逃げの心理」が働いていることがよくあるからです。「ポジティブになろうとする」ことの裏面に、「ネガティブな自分」を否定している、無視している自分が抑圧されているとしたら、それは精神にも身体にも悪いことは明らかです。ポジティブでも、ネガティブでもどちらでもいい、ただ「ありのままの自分」から逃げないことが大切なのです。

「真理の探求」で何をしているのか?

「真理を探求」し始めたことによって、現実との関わりに制限を増やしていたり、自他共に対するジャッジメントを抑圧しているとしたら、さまざまな領域でバランスを崩すのは目に見えています。スピリチュアルな学びは、いわゆる「覚醒」がゴールなのではなく、その過程において、常に変化する「自分自身への深まる理解」と「自分が創造している世界でのより調和した関係性」に反映されてこそ、そのポテンシャルを発揮するものなのです。

禅の言葉に” Before Enlightenment chop wood carry water, after Enlightenment, chop wood carry water.” 「悟りの前、薪を切り、水を運び、悟りの後、薪を切り、水を運ぶ」 という言葉があります。同じことをしていて何が違うのか・・・それが「意識の変化」です。スピリチュアルな探求をしていても、怒る時はあるし、心おだやかではない時もある。でも、自分自身への理解が深まった時、人生への理解が深まった時、「その怒りは自分自身ではない」ことを認識できるようになり、「思考というものが自動的に思考している」ということに気がついているのだと思います。

今日もありがとうございます☆順風満帆、宇宙はいつでも「それでよし、すべてよし」感謝

「真理の探求」における心理

gree leavesエックハルト・トールやアジャシャンティがどう言っているか、私はよく知りませんが、たぶん彼らも、「探求」そのものは不足感から来るあり方だと言っているのではないかと思います。完全な自分になるためには、もっと何かを得なくてはならない。そして、自分を探求者と決め込んで、益々問題を増やしているのです。そこを彼らは指摘しているのだと思います。彼らがそこをどう表現するのかはっきりとはわかりませんが、これに近いことを言っていたと思います。

「真理」を探求することであれば、それは素晴らしいことなのですが、その探求が「より確かなもの」を探すためだとしたら、そこにはおのずと限界が出てきます。「真理の探求」というのは、現実との関わりを深めていくためのものにもなるし、もう一つには、現実との関わりに制限をつけるものにもなり得るのです。カリフォルニアに住む、仏教の師であり心理学者のジョン・ウェルウッドは、これを「スピリチュアルな回避」と言っています。私も、自分自身から逃れるためにスピリチュアルに逃げている人を多く見てきています。いわゆる、スピリチュアルな探求や超越的な体験の探求というものが、自称「スピリチュアルな探求者」にとって、本当の自分に繋がることを避けることになっている可能性があるのです。それが「本当の自分に繋がる」という名の下で行われているのです。

スピリチュアルな学びは生命・人生全般に繋がっているもの

pinkFlower_Power_Spider_Purple_2134px特に病気になった場合、これは私の長年の研究で確信に至ったことなのですが、病気というのは感情的なレベルでの真実を避けている場合に、その現れとして出ているものです。自分の感情に対処していく方法として、スピリチュアルな真理の探求に全エネルギーを注ぎ込んでいる人たちがいます。ウェルウッドはそのことを「スピリチュアルな回避、スピリチュアルに逃げる」と言ったのです。そういう人たちは美しい死を迎えるかもしれませんが、生命を短くしてしまいます。

なぜなら、彼らは感情的な現実に直面していないので、免疫システムホルモンの働きが悪くなって、ありのままの自分が出しているエネルギー表現ができなくなってしまうからです。それが循環器系神経系システムなどの弊害を起こしてしまうのです。ですからすべては、自分がスピリチュアルな探求を通して何をしているかによるのです。特に西洋社会において分離した考え方があります。たとえば、あなたがスピリチュアルな探求者ならば、怒るのはよくないとか、いつも心穏やかでなくてはいけないとかいうものです。これは単に、自分の感情を押さえ込んでいることです。

私も自分のことをスピリチュアルな探求者だと思っています。私もアンマやアジャシャンティなど見続けています。それは彼らから自分自身への理解を深めるため、世界との関係性をより良くするために学ぶことがあるからです。でも同時に、この学びはさまざまな領域で行われるべきものであって、もしそれをスピリチュアルな領域だけにしてしまうとすると、それは私たちの総体的な体験に制限を作ってしまうことになるのです。

by Gabor Mate


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1コメント

  1. "SORE"WA ARU より:

    この動画からのオープンクラス。
    私の中ではすごく重なりました。正にあれ、あの時でした。
    大切な時、を頂きありがとうございました。
    そして心遣いに感謝します。

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