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地球人のためのスピリチュアル・レッスン オープンクラス 2017年8月27日(日)

パパジ~『エゴ意識にサレンダー』

2013年3月19日  /  コメント無し


今回の動画は、ムージがパパジに質問をしてその教えを受け取っている場面のものです。
質問は
How do I put an end to suffering once and for all?
苦悩を決定的に終わらせるにはどうしたらよいのですか?

というものでした。

パパジの返答の中に「I」(「私」)こそがすべての苦悩の根源とありました。

「私」が付いている限り、それは思考、概念、ストーリーに過ぎず、
それが祈りや瞑想、悟りといったスピリチュアルなコンセプトであっても、「私」が付いている限り
それは思考、概念、コンセプトが移転しただけのことであり、そのループ内に居続けることに変わりはない・・・

概念、言葉を超えたただ在る現実は、とてもシンプルで、しかも言葉にできない究極の秩序がある。
その中で、ただ在り、していることをただしているだけなのだと思って生きている昨今、
このパパジの動画はとてもしっくりときた内容でした。

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【動画スクリプト】

人がエゴを抱えている限り、その人はどんなことをしても成功できないと思います。
神でさえ助けることはできません。
あなたのマインドに傲慢さ・エゴがある限り成功できないのです。

”神に任せる”と言う意味で”任せる”と言うことは、任せていることにはならないのです。
あなたは自分のエゴを放棄しなくてはならないのです。
そうなった時初めて”任せた”と言えるのであって
あなたの内に在る神があなたの友となるのです。
神があなたに姿を現すのです。すぐにです。

でもあなたがエゴと一緒に生きるのであれば
この2つ(エゴと神)は同時に存在し得ないのです。
あなたは神と同化していくのです。
川が海と一つになるように・・・
そのように、あなたのエゴも神聖なるものに吸収させていくのです。
ひとつにしていくのです。
それを”身を委ねる”というのです。

自分自身をよく見てあげてください。
”「私」は祈る、「私」は神のところに行く、「私」は教会に行く”と言ったとしても
これらはどれもあなたを救ってくれはしません。

あなたが自分からこの「私」を取り除いて身を委ねて神に向かう時
あなたは、自分がどれだけ神に近かいものであったかと気がつくでしょう。
ですから、祈る時、瞑想する時
”「私」は瞑想しています「私」は祈っています”とは言わないでください。
この「私」こそが取り除かれなくてはならないものなのです。
この頭の部分をそのストーリーから切り落とすのです。

サットサンガからも「私」を取り除くのです。
「私」をなくして来てください。
「私」というのは「肉体」のことです。
「私」とは「肉体」という意味なのです。
「私」がなければ、私が何かと一体化することはできないのです。
肉体が何かと一体化するのです。
この肉体が聖なる光を見ることが出来るでしょうか?
肉体と共にある限り、聖なる祈りをささげ、幸福を求めてもそれは不可能なのです。

ですから、祈りを捧げる時「私」を一緒に連れて行かないでください。
サットサンガに行くときも「私」を連れて行かないでください。
今私の話していることが理解できたら
あなたはまっさきに、「”私”を取り除いたら、誰が誰に祈っていることになるのですか?」と
聞いてくることでしょう。

「私」というのが問題のもとで、「私」が苦悩の原因なのです。
”「私」は悩んでいます、辛いです。「私」は死ぬでしょう”
「私」だけが問題なのです。
ですからこの「私」を取り除かなくてはならないのです。

神を見出そうとするのではなくー
神はどこにでもいるのですから、探すことはできないのです。
今「あなた」が消えるのです。
そうしたらどこにでも神を見いだせるのです。

そのためには、あなたが消えなくてはならないのです。
”神に現れて欲しいし、自分もそのままでいたい”それは不可能なのです。

by Papaji


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