ティク・ナット・ハン~「涅槃(ニルヴァーナ)、自由への道」

本当の自分、愛の自分を生きるステージに向かっていく中で、
今私たちは様々なアイデンティティ、分離の幻想に目覚め始めています。
ティク・ナット・ハンが語っていたように
「生と死、存在するものとしないもの」「来るもの、去っていくもの」など、
ものごとを二極に捉える思考、見識から目覚めて、
すべては変容を繰り返す自然の摂理、循環する生命としてただ在るだけなのだということに
人類全体が気づき始めているのです。

このことをティク・ナット・ハンはこう語っています。

『もしあなたが詩人なら、一枚の紙のなかに雄大な雲が漂っているのを見るでしょう。
雲がなければ雨はなく、雨が降らなければ樹は育たず、樹がなければ紙を作ることもできないのです。
このように、紙が存在するためには雲はなくてはならないもの、つまり、雲がなければ紙は存在しないのです。
ですから、雲と紙は「相互存在している(interbeing)」のです。』

すべての存在するものは、お互いに関わり合いながら存在しているのです。
始まりも終わりもなく、ウェブのようにつながり合って循環しているのです。
一つとして分離しているものはないのです。
それなのに、人間だけが「自分」「個」という観念を増幅させ、
間違ったものの見方、誤解を定着させてきたのです。

悟りや涅槃(ニルヴァーナ)、「スピリチュアルな目醒め」とも言われていますが、
これもかなり誤解されてきたものだと思います。
それは、ある特定の修行をした末の、ある特定の人にだけ可能な至福の状態であり、
それも「神秘体験」を伴う・・・というようなイメージです。

その誤解も最近は随分と溶け始めてきています。
今回の動画で語られているように、それは遠い彼方にあるものではないのです。

「涅槃(ニルヴァーナ)」とは、間違ったものの見方を取り除くこと」
「間違ったものの見方を取り除けば、あなたは自由になり、あなたには恐れがなくなる」
「涅槃(ニルヴァーナ)とはイコール『自由』と言い換えることが出来る」

まさに今私たちは、時空間の幻想(時間と空間が別物と考えること、時間を直線的なものと捉えること・・・など)
を超えた完全自由体に、境界線のないワンネス宇宙としての本質に
立ち返るときに来ているのだと思います。

穏やかな午後、雲を眺めながら、循環する自然、変幻自在な雲と一つになって遊んでみたいと思います☆☆☆

愛と叡智と意志の力が豊かに目覚めますように~感謝

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【涅槃(ニルヴァーナ)、自由への道】

聖典によると、シッダールタは40日を過ぎた時、
いくつかの段階を経て真実を悟ったと言われています。
一日目の夜の内観で、彼は自己の過去世すべてを理解しました。
2日目の夜の内観では、循環する存在の一貫性、因果の法則、カルマの流れを悟りました。
肉体的欲望、執着、間違った見方、無知、これら4つの精神的毒性を克服しました。
その夜、5月の満月の下、35歳の年、彼は悟り・目覚め、究極の知、涅槃(ニルヴァーナ)を体験したのです。

仏教では、涅槃について説きますが、涅槃とは苦悩の鎮静・終わりを言います。
涅槃とは、すべての苦悩が消滅することを意味しています。
私たちの苦悩は、間違ったものの見方、誤解から生まれてくるものです。
ですから、瞑想、深い内観の練習は、
私達からその間違ったものの見方を取り除くことがその目的といえます。
間違ったものの見方を取り除くことができれば、私たちは苦悩から自由になることができます。
全ては間違ったものの見方から生み出されているからです。

あなたは、自分自身に対して間違った見方をし、また、他人に対しても間違った見方をしています。
また人は、彼ら自身に対して間違った見方をし、あなたに対しても間違った見方をしています。
それが憎しみや暴力に対する恐れの原因となっています。
ですから、この間違ったものの見方を取り除こうと努力することが
平和をもたらす唯一の道なのです。

ですから第一に、涅槃とは間違ったものの見方を取り除くことです。
間違ったものの見方を取り除ければ苦悩もなくなります。
また、深く瞑想することで、”存在するもの、存在しないもの”という概念さえわかってきます。
”誕生と死、やってくるものと去ってゆくもの”それらも誤った考え方からきています。

もしあなたが現実を深く見ることが出来れば”誕生から死、来ては去るもの、
存在するものと存在しないもの”という概念から解放された
生き生きとした究極の現実をはっきりと理解するのです。
ですから、誤解と苦悩から来る見識を取り除くことが涅槃の第一歩なのです。

もしあなたが、死を恐れていたり、無、存在しないものを恐れているとしたら
それは、あなたが死に対して、見えない存在に対して間違った見方をしているからなのです。

フランス人科学者のラヴォワジールは”誕生も死もない”と言っています。
彼は、ただ周りの現実を観察し”生も死もない”という結論に至ったのです。
雲を見る時、あなたは雲を”存在しているもの”として見ています。
後に、雲が雨になった時そこにはもう雲を見ることはなくなり、あなたは”もう雲はない”というのです。
雲を”存在しないもの”として捉えるのです。
しかし、よく観察してみれば、雨の中にも雲を見ることができます。
つまり、雲が死んでなくなることは不可能なのです。
雲は雨になったり雪になったり、氷になることができます。
雲が”無”になることはできないのです。

ですから、死に対する考え方は現実にはそぐわないのです。
そこには変容があるのです。絶え間ない変容があるのです。
”死はある”と言うことはできないのです。
なぜなら、あなた方が死を考えた時、死とは、突然「無」になるものだと理解しているからです。
突然”無”になり、いなくなってしまうと思っているのです。
死をそのように捉えることは、現実にはそぐわないものなのです。
雲から人間に至るまで、死は存在しないのです。

ブッダは死んだのではありません。
彼の本質、教えは常に生き続けているのです。
今、ここで彼に触れることが出来るのです。

ですから、”生まれる、死ぬ””やってくる、去る””存在する、存在しない”などという考え方は
深く内観する練習を重ねることによって取り除かれなくてはならないのです。
これらの見識を取り除くことができれば、あなたは自由になり、あなたには恐れがなくなるのです。
恐れのない状態は、本当の幸せの基盤となるものです。
あなたのハートに恐れがある限り、あなたが完全に幸せであることはありえないのです。

ですから、涅槃とは将来のいつか得られるものではありません。
涅槃とは、どれだけ間違ったものの見方、見識を取り除くことができるか、その適応能力なのです。
それは自由のための訓練です。
涅槃とは、自由と言い換えてもよいでしょう。
ものの見方、考え方から自由になることです。

仏教では、全ての見方は間違ったものであると教えています。
現実をふまえてみた時、あなたには”ものの見方、見識”はなくなっていきます。
あなたには知恵があり、あなたは直接的に現実と向き合うことになるのです。
そうなった時、それは”ものの見方、考え方”と呼ばれるものではなくなるのです。

by Thich Nhat Hanh

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