「客観視って、これでいいのですか?」個人セッションQ&A ①

一個人の抱えている悩み苦しみ、気づきの段階に応じて浮上してくる疑問点は、それぞれの体験、表現方法は違っていても、ほとんどの場合本質的には多くの人に共通する内容です。

そこで、個人セッションで行われた内容から、さらなる気づきと解放につながるコンセプトを中心に、今回からQ&Aシリーズをまとめていこうと思います。

グッドタイミングの気づきがありますように!

 

「客観視って、これでいいのですか?」個人セッションQ&A ①

Q:

自分の感情や思考、反応を観察できるようになってきました。人に対して、自動的に出てくる反応があっても、それを見ている自分がいて、やり続けていたら実際、自動的な反応も減ってきたように思います。

客観視というのは、この観察を繰り返すだけで良いのでしょうか?なんだか迷路に入ったようで、ちょっとスッキリしないのですが・・・。

A:

あなたは見ようとする景色、物体に焦点を当てることでそれを捉えることができます。感情と思考を捉えることができるようになったのもそれと同じで、そのことに焦点を当てたことによって、対象物がより明らかになってきたということです。

しかし、セルフ・リアライゼーション(※)、本質を見ていく過程においては、見ている対象物に気がついているだけでは十分ではありません。その対象物は、あなたが気づいているように所構わず自動的に出てくるものです。捉えることができるのはほんの一部です。

そして、私たちは基本的に、一度に一つのことしか捉えることができません。今のような反応の観察を続けていたら、代わり映えしないその内容に、そのうち疲れてやめてしまうでしょう。

観察の次の段階、見ている内容がどんなものであれ「私はすべてを見ているものである」という視点を持ち始めていきましょう。

【客観視の第一段階】

完全に感情と思考と一体化している無意識状態から、大きく一歩踏み出したものの、もし、あなたが反応を見ているとしたら、あなたが見るものは反応であり、これからも反応を見続けていくことになります。(反応:思考・感情・体)

【客観視の第二段階】

あなたが「私は見ているものである」という事実を見ているとしたら、反応そのものは退き、あるいはその時消えてなくなります。あなたは、意識の目で「見ている内容」ではなく「見ていること」自体になります。

観察、客観視というのは、出てくるものに対して見張り番のようになることではありません。

今自分は、相手のこういう言葉・態度を引き金にこう反応した、あの人は何かを引き金にああ反応している、私はこの反応からこれを学んだ、私は〇〇なトラウマがあるからいつもこう反応する、と反応のコンテンツに焦点を当て続けても、反応のパターンに気づくことにはなると思いますが、だからといって「自動的」ですから、また出てきます。

これが、観察・客観視という練習を取り入れ始めた人が陥りやすく、場合によっては長くとどまり続けてしまう第一段階の客観視です。

自分の感情と思考を見れるようになり、そこから距離を置けるようになってきて、たとえ相手が反応していても、こちらは反応していないことがわかる、だから「反応している方がそれを見たほうがいい」と意見する。何かが引き金になって感情や思考が動いても、私はそれに気づいている。私は「今私にこんな反応が出てきている」ということに気づいているから大丈夫。こんなことが起こり続けます。

これはセルフ・リアライゼーションではなく、リアクション・リアライゼーションなんです。セルフ・リアライゼーションとは、肉体精神機構を持つこの私という人間に沸き起こっている思考や感情、自分の揺れる体の動きに気づくことではなく、そこから一歩踏み込んで、あるいは大きく俯瞰して、それらの内容はさておき、第二段階の客観視「すべてを見ている視点」を取り入れていくことから始まるのです。

 セルフ・リアライゼーションのリアライゼーションとは、その動詞はrealize(リアライズ)で、「理解する」という意味と「気づくこと」と「実現(現実化)していく」という意味がある。このすべての意味を包含しているリアライゼーションという言葉の深みを考えると、ピッタリと当てはまる日本語を探すのが難しい。

要注意:反応を観察するという練習をし過ぎて、これこそが客観視だと決め込んでしまうと、常に「反応している自分」と向き合うことになり、自分を牢獄に閉じ込めることになってしまいます。反応を観れているから大丈夫と思い込み、ちょっとスピリチュアルな視点を持ったがために反応のマトリックスにとどまり続けることになってしまうのです。

 

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