【動画スクリプト】
タミ・シモン:
今までとは少し違った質問があります。
ある程度の「覚醒状態・目覚め」を体験してきた人たちであっても、厳しい人生を体験しているように見えるのですがー
例えば、ビジネスやお金、人間関係において、あるいは健康問題などです。
彼らの体感したスピリチュアルな解放が、人生におけるこれらの側面に反映されていないように思えるのです。
そこで私は、「スピリチュアルな目覚め」が私たちの人生に起こるこれらの問題を全て解決するものなのか、
そこのところをお聞きしたいのです。
あるいは、心理的なことに取り組むこと、健康促進のための努力、健康食品の摂取などが、
まだまだ大切なことなのでしょうか?それとも、そういうことも自然に起こるので、心配する必要はないのでしょうか?
エックハルト:
「スピリチュアルな目覚め」が、すぐさまあなたの問題すべてを解決してはくれることにはなりません。
目覚めたからといって、あなたの人生にチャレンジすることがなくなってしまうということでもありません。
つまり、チャレンジすることは引き続き起こってきます。
しかし、ひっきりなしに機能不全の状況になっているということではなくなります。
スピリチュアルに目覚めれば、それはありえなくなっていくものです。
たとえ完全に覚醒していないとしても、比較的意識的になっていきますから、
機能不全の心地良くない状況、ドラマに長い間どっぷり浸かっているということはあり得なくなってきます。
しかしながら、チャレンジすることは残ります。人生はあなたにチャレンジを与え続けます。
それは肉体を持って生きている限りあり続けます。
どんな種類の、どんなチャレンジであれ、それには終わりがありません。時々はやってきます。
ですから、スピリチュアルな目覚めが、それらすべてのチャレンジを取り除くということではありません。
あなたの人生は計り知れないほど向上します。目に見える形でもよくなったりします。
しかし、チャレンジすることはまだまだやってくるのです。
あなたが新しい状況を生きることになったとしても、そこでまた新しいチャレンジが浮上してくるでしょう。
スピリチュアルに目覚めたからといって、それが起こらなくなるということではありません。
たとえあなたがチャレンジすることに直面することになったとしても、
そのチャレンジはより超越した領域での状況として捉えられていくことになるということです。
チャレンジが、あなたの意識を完璧に占領してしまうような巨大なものとして見えるのではなく、
そこには空間が存在しているのです。今ここにある空間の中に、チャレンジすることが存在しているのです。
”今ここに生きている”ということが前提であって、その問題の中にあなたは生きていないのです。
ですから、チャレンジすることが問題になることはないのです。
チャレンジはチャレンジとして存在しているのです。
超越した領域に繋がった状態のまま、そこから、チャレンジすることに対してあなたにできることがあれば
それをするということなのです。
さらに、人生においてーあなたを完全に満たしてくれる状況に出会うことはなくなります。
あなたを完全に満たしてくれる物理的な場所、住む場所、
または、あなたを完全に満たしてくれる人間関係、関係性、常に満たしてくれる活動、
これらのものに出会うことはなくなります。
あなたがどこへ行こうとも、何をしようともどこかに満たされない要素を常に見つけることになるでしょう。
それはこの形ある世界にいる限り避けられないことなのです。どんな形にも限りがあるからです。
ですから、スピリチュアルな目覚めによってあなたの人生体験から
完全に不満足な要素が消えてなくなると信じることは正しくありません。
それはあり続けるのです。しかし、もはやそれも問題ではなくなるのです。
私は”超越した領域”と言っていますが、より大きな視点からすべて見ることになるからです。
言い換えると、あなたの幸せ、満足感は一切条件によってもたらされるものではなくなるということです。
もちろん人は、目覚める前には幸せや満足感を探し求めるものです。
彼らは、条件の中に人生を満足させるものを探しているのです。
少しの間はここに満足を感じ、しばらくすると、今度は他の条件を探しー
しかし常に、最終的な幸せも満足感も与えてくれることのない条件を探し続けているのです。
結局はそれが現実なのです。ついには、もっともっと苦悩を作り出し、でもその苦悩が目覚めを生み出すのですから
結局はすべてOKなのですが・・・
しかし条件が幸せも満足ももたらしてくれるものではないということは事実なのです。
なぜなら、いつだってしっくりくるものはないのですから・・・
”目覚めていること”と”目覚めていないこと”の違い、”無意識の人”と”ある程度目覚めた人”の違いというのは、
”無意識の人”は、常に幸せになるために必要だと思う条件を探し続けているということです。
”目覚めた人”は、もはや自分の人生に完璧な条件を求めることはしません。
なぜなら、目覚めた人の幸福、満足感、生きがい、喜びは、条件によってもたらされる必要がないのです。
それは無条件の意識からやってくるものだからです。
あなた自身である生き生きとした存在、意識そのものから来るものだからです。
これが最終的な満足感なのです。これが人生の超越した領域、形のないものなのです。
人生の様々な条件とは一切関係のないものなのです。
そうなったら、条件にしがみつくことなく人生におけるそれらの条件と空間のある関係性を持つことができるのです。
あるいは、条件に対して不快になることなく付き合えるのです。
あなたは、それらの条件と空間を保った関係性を持つことができるのです。
その条件をあるがままに受け止め、その素晴らしさ、あるいは不完全さすべてー不足しているもの、
うまくいっていないものもそのまま受け止めるのです。
そうなった時、人生が始めて満足なものになるのです。
なぜなら、あなたの幸せ、満足感は人生の様々な条件に左右されないからです。
それこそが大いなる自由なのです。
ですから、目覚めたら人生はバラ色になる、私の人生に起こることは
完璧に素晴らしいことばかりだと信じることは間違った見解なのです。
形ある世界においてそれは自然ではないのです。
形あるものは常に変わり続けるのです。同じ状態は保たれないのです。
今日最高の一日だとしても、明日あるいは来年は違うかもしれないのです。
条件は必要ないのです。あなたに必要なのは、すべての条件を超越した領域につながっていることなのです。
ブッダもこれを教えていますね。
1 comment
今日もありがとうございます。
「”目覚めた人”は、もはや自分の人生に完璧な条件を求めることはしません。」
いま知るべきことでした。
ありがとうございます!