マスターたちのエネルギーフィールドを感じる
ニサルガダッタ・マハラジの映画「Rays of Absolute」を見ました。ニサルガダッタ・マハラジがどれだけの人々の意識を変容させ、人生を変えてきたか、生存している人も含め、ニサルガダッタ・マハラジに関係する多くの人々を尋ね、インタビューして出来たドキュメンタリー映画です。
今の私たちには、グルとか覚者と呼ばれる人々とその教えに、毎日でも接することの出来る「とんでもない」環境が与えられています。今では、当たり前のようにYouTubeで自分の求める情報に即座にアクセスできるようになっていますが、これはほんの数十年前には想像も出来なかった世界です。数十年前までは「本」でしかアクセスできなかったマスターたちの教えは、今ではマスターたちを目の前に、そのエネルギーフィールドをハートに感じながら、マスターが生きていようと死んでいようと「その場」を共有できるのです。これは本当に時空間を超えた次元を体験している証ではないかと思えるのです。
より純粋なあり方で「在ること」へ
マスターたちの教えは、たとえその本がどれだけ素晴らしいものだとしても、言葉の翻訳がつきものです。ニサルガダッタ・マハラジの話す言語はインド語の中でもマラティー語というもので、質疑応答のセッション時には、マラティー語を英語に訳す通訳がいつでもついていました。この講話を側近のモーリス・フリードマンがテープ起こしをし、「I Am That」が出版され、後に日本語になったわけです。この間の翻訳家たちの偉業は言うまでもありません。特にモーリス・フリードマンは他にもラマナ・マハルシの対話集も手がけ、覚者たちからも「モーリスは賢者だ!」と言われるほどに覚醒していたと記録に残っているほどです。
とは言え、言葉には限度があります。「I Am That」という言葉ひとつとってみても、それが「私は在る」と訳され、「I Am That」の前のマラティー語に関してはニサルガダッタ・マハラジが語っている映像を見て分かる人にしかわかりません。動画で見るニサルガダッタ・マハラジの口調はかなり強く、不動の威厳が漂っています。マハラジの前に立たされて、あの口調で「Who Are You?」お前は誰だ・・・と聞かれたとしたら、即座に「I don’t know.」と答えてしまいそうです。そのくらいエネルギー周波数が時空を超えているのです。
映像を通してではありますが、私たちは賢者や覚者、グルやマスターたちと向き合うことが出来ます。彼らのうち誰を信奉するか、誰の教えが正しいのか、ということを追いかけているのではありません。今の私が、素直に自分のハートを開いて、ありのままの自分で「彼らのエネルギー」を感受するという体験を通して、より純粋なあり方で「在ること」が深みを増していく・・・のです。自分とエックハルトが、自分とニサルガダッタ・マハラジが溶け合っていくような感じ・・・そんな異次元体験が可能だということなのです。
今日もありがとうございます。
愛と感謝を込めて
with vastsitllness
突然の覚醒と徐々に現れる覚醒
ひとつは、思考に捕らわれていた状態から突然の解放(覚醒)が起こる場合。また、何かしらのスピリチュアルプラクティス(修行など)を通して徐々に自由になっていく場合があります。スピリチュアルな修行、テクニックは様々にありますが、実際私はテクニックよって覚醒した人を見たことがありません。しかし、テクニックを手放した時、覚醒に至ったという人はいるでしょう。
テクニックはハシゴ(架け橋)としての存在価値はあるかもしれません。しかし、仏陀も川を渡る際に使ういかだを例え話に使ったように、向こう岸についてからもいかだを持ち歩く人はいません。いかだは置いていきます。「これは私のいかだだ!」と持ち歩きません。
スピリチュアル・ティーチャーは一度に全員が現れるものではありません。何年も経て現れてきます。たとえば、ニサルガダッタ・マハラジの教えをご存じの方も多いと思いますが、彼は「I Am That」という素晴らしい本を書いた人です。実際は、彼が書いたものではなくこれは講話集ですが。彼はボンベイの屋台で手巻きタバコを売っていました。人を不健康にするものを売るなんて、彼はきっと悪いカルマを持っているに違いない、と思う人もいるかもしれません。さらに彼自身もかなりのヘビースモーカーでした。
「私は意識である」これだけを感じ続けたマハラジ
ある時グルを尋ねた彼は「あなたは意識だ。これだけはしっかり覚えておきなさい」と言われました。「何をするときも自分が意識だということを感じることこれを忘れないようにしなさい」と言われたのです。「はい分かりました」と彼は言いました。そして、彼は仕事に戻ってからもその教えを実践していったのです。
これはテクニックと言えるでしょうか?テクニックと呼べるほどのものではありません。彼が忘れないようにしたことは「私は意識である」ということだけだったのです。すべての体験の根底にある「普遍的な私」「意識」を感じようとし、感じていたのです。「気づき」そのものを感じようとしていたのです。そして数年後、それが完全に現れたのです。
彼は一度に完全覚醒したわけではありませんが、覚醒するまでそれほど時間もかかりませんでした。そして、突如としてこのタバコ売りが叡智を語り始めたのです。読み書きさえままならない彼のところに、突然、質問を投げかける人が来るようになったのです。彼の口から、強烈な智恵の言葉が現れ出てきたのです。何かがカタチとなって現れてきたのです。こうしてタバコ売りがニサルガダッタ・マハラジになったのです。インドでは、こうして命名することが習わしになっています。マハラジというのは偉大なる王という意味です。もちろんスピリチュアルな意味です。
これは、突然覚醒してティーチャーになった人の話ではなく数年の月日を経て、その後途切れることなく「プレゼンス」(意識そのもの)として存在したマハラジの例です。
3 comments
はじめてコメントさせていただきますが、日本語字幕を付けていただいた動画の数々を長らく拝見させていただいておりました。
確かに、振り返って考えてみますと、こういった環境が今、目の前にあるのは、とんでもないことだと、思わず笑ってしまったほどです。
自分と向き合うことよりも、まだ何かを追いかけてしまっている状態というのが、正直なところなのですが、こうやってキッカケをくださることに深く感謝しております。
ありがとうございます。
Ryotaさん、はじめまして、こんにちは☆
コメントありがとうございます。
そうですね!たくさんのキッカケを与えられてますね(スゴイことです!)
これも、私たちのハートの奥深いところからの希求に答えてくれている神業ですね。
これからもどうぞよろしくお願いいたします。感謝☆
YUKIKOさん
いつも貴重な動画の翻訳ありがとうございます。
“「私は意識である」これだけを感じつづけなさい”
まさにドンピシャ、簡潔にしてこれ以上も以下もない明確なアドバイスだと思います。
僕も自分の中の意識こそが、(生命=愛=神)そのものであることを悟ってから早30数年経ちますが、当時はスピリチュアルのスの字もなく自分の認識が間違っているのだろうかと何度も思いました。今の時代の様に情報が溢れていれば、もっと早くこのことに気づきエゴまみれの人生を送らずに済んだかもしれません。しかし、僕にとってはこの30数年という時が必要だったのでしょう。やっとスタート地点にたどり着きました。
この事実は、本や人に教わろうが自分で気付こうがどちらでも一緒だと思います。
ならば早くこのことに気が付き、自分の中の意識(生命=愛=神)を感じて日々生きることが人類の大きな目覚めにつながる一歩だと思います。
本当は自分の中に意識があるのではなく、意識の中に自分がいるのですが…
「私は意識である」この事を片時も忘れる事なく生きることが、まさにスタートラインだと感じます。感謝♪m(_ _)m