「今、キリスト意識が現れる」ジム・キャリー

消えたジム・キャリー

ここ10年来、俳優ジム・キャリーの「悟り的発言」に関してさまざまな報道、動画でのスピーチが印象的でしたが、最近になってそれが加速度を増して報道されています。一般的に見れば俳優という立場ながら、あらゆる場面で「意識」「目覚め」「悟り」「私は存在しない」「キリスト意識」などといった言葉を頻繁に使い、まさに「ジム・キャリー」不在の言動一辺倒になってきています。

また、ジム・キャリーは絵も描き、イエス・キリストの肖像画が注目を浴びています。また、イエス・キリストに関して、キリスト意識に関しても、ゆがめられたイメージを払拭するかのようなメッセージを伝え始めたり、俳優ジム・キャリーの背後に存在する意識が急速に現れ出てきている感じです。

今、キリスト意識が現れる

数ヶ月前にエックハルト・トール氏へのインタビューを聞いた時、インタビューアーの「次の本の予定はありますか?」との質問に、エックハルト・トール氏は「今、イエス・キリストに関することを書いています。これが本になるかどうかはわかりませんが、イエスの教えの真意が見直されるときがきているのだと思います」というようなことを言っていました。これを聞くことになったのも偶然であるはずがありません。

エックハルトを通して、ジム・キャリーを通して、今宗教を超えて「キリスト意識」がおおいに現れ出てきていることを知らされると、どこか胸の奥のほうで何かがうずき始めるのを感じます。この肉体精神をもって生きているほんのつかの間の人生において、どういった形にせよ、どの瞬間においてもそれが「意識の表現」となるように~祈りと共に在り続けたいと思います。

愛と感謝と共に
with VastStillness

ジム・キャリー&アラン・ワッツ:本当に存在しているのは誰?

以前の私は、自分が世界を体験していると思っていました。でも今は、世界が、宇宙が私という者を体験しているのだと感じています。舞台のドラマが幕を閉じた後、主人公と悪役が手を取り合って登場してきます。そして、観客は両者を賞賛します。なぜなら観客は、主人公も悪役も単なる役柄にすぎないと知っているからです。

役者が役を演じる場合、その役に深く入ってしまうと自分自身の個性というものが薄れているのがわかるのです。そして、突如としてジム・キャリーって誰なのかという分離を感じるのです。実際そんな人は存在しないのと・・・。ある時気がついたのです。そんな簡単にジム・キャリーがいなくなるなら、ジム・キャリーってヤツはいったい誰なのかと思ったのです。

ただ、意識が関連しあいながら、現実として現れているだけなのです。誰かが彼に考えを与え、名前を与え、宗教・国籍を与え、それをまとめ合わせて彼という個性が出来上がるのです。それらは実際は存在していないもので、あなたが反復して教え込まれてきたものは何一つ実存してはいないのです。

あなたは、舞台の裏手には楽屋があること、劇が始まる前、そして劇が終われば仮面ははずされていることを知っているのです。

人生に起こることはすべて、形あるものの遊び

衣装を着ることも、髪型を作ることも、インタビューされることも私という存在、私が何者であるかと関係なく起こっているのです。私たちはみな悟っているし、私たちはすでに完璧だし、ただ、自分が完璧であることを理解するだけなのです。自分が完璧だとわかれば、この人生、人生に起こることはすべて、形あるものの遊び、戯れとなるのです。そこから何かいいものを作って遊ぶようなものとなるのです。

今、みんなの内面で「私とは何か?」ということが起こっているのです。多くの人がウツになっているのも、彼らは世の中のイメージを阻止しようとしているからなのです。ウツとはそういうことなのです。みんなに「ジムはウツだったんだって」と言われます。その通り私はウツでした。その頃の私は幕の裏手にいる人ではなく、オズの魔法使いになろうと頑張っていたのです。でも今では、オズは単なる役柄であることを知っています。

みんなに「なぜウツになったのか?」と言われます。それは私が、世界にとって役に立つ何者かになろうと頑張っていたからです。でも、その考えを手放すやいなや、いいことが起こるのです。それはただ起こります。私の人生には、そういったいくつかの目覚めの段階がありました。人は、ウツや深い悲しみによって「空・無」に向かうことがあります。それもまた目覚めのプロセスであり、他にもいろいろあると思います。だからって、今でも私にはエゴ的な執着もたくさんあって、それに気をとられてしまうことがあるんですが・・・。役者と役柄が最高にマッチして何かを成し遂げること、これがとても重要なことだと思うのです。

ですから、舞台の裏側、つまり現実という見かけのその奥では、あなた方は誰もが役者なのです。さまざまな演技をこなす素晴らしい技を持ちあわせ、そして、これこそが緊急事態であるかのように、自分のマインドの迷路で迷子になり個人的な出来事に紛糾しているのです。しかし、舞台の裏手の楽屋では、口には出さないまでも、自分が自分だと思っている自分は自分ではない・・・とひそかに疑い続けているのです。

by ジム・キャリー&アラン・ワッツ

2 comments
  1. Yukikoさん
    こんにちわ!ご無沙汰しています。

    昨日のニュースのダヴィンチの絵画「サルバトール・ムンディ」といい
    まさに今、、、キリスト意識が、私たち人類に大きく働きかけてきていますね!!
    見えない世界の動きが、実に興味深く、かつ面白い展開を見せてくれていること
    嬉しくなってきました!!

    この時代に、この素晴らしい変化を見て体験できる自分に
    わくわく、どきどきがとまりません。

    そしていつも、リアルタイムな記事のアップに感謝しています!!

    Yukikoさんブラボー! いつもありがとう♡

  2. Chikayoさん、こんにちは!コメントありがとうございます。まさに今、キリスト意識が数千年来の勢いで働きかけてきているようですね!
    ただ毎日を、日々新鮮な愛の表現として生きていきたいなぁ~そう思っています☆いつもありがとうございます!

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