静寂になるには・・・
いわゆる、スピリチュアルなプロセスと言われているものは、心理学的なプロセスとは違います。スピリチュアルなプロセスに、あなたの記憶はまったく関係ありません。それはいのちのプロセスであり、存在としてのプロセスです。このプロセスは、自分という存在はいのちの一部であり、その自分を心から愛することが出来て、初めて起こりうるものです。そのために私たちは色々なことを試みます。アシュラムの中でオレンジ色の沈黙バッチをつけて歩いている人を見たことがあるでしょう。彼らはただ黙るということをしているのです。ただ黙っているだけではまだ完全ではありません。
静寂になるということは、自分自身のことを考えなくなって初めて可能なことなのです。あなたが自分自身のことをなにやら考えているとしたら・・・もしあなたが「私は賢い」と考えているとしたら、黙っていられるでしょうか?教えてください、できますか?「私は賢い」と思っている人は、どうしたって黙ることは出来ません。あなたが、自分はこの存在そのものに関して完全に無知であるということを知れば、人生というのは不思議な事に満ちあふれているということに気づいてくるのです。そこに思考の出番はありません。
あなたが「私はなんでもよく知っている」と思っているとしたら、あなたの頭の中では、色々な説明、計算、ナンセンスなことがグルグル回っているということです。でも、ひとつのことがわかれば、無数の思考が消えてなくなるのです。ここに集まっているみなさんは、完全な静寂でそこに座っているわけではありません。私の話に同意していたり、意見が違うと思っていたり、あなたには色々な意見が出てきています。隣の人が着ている洋服がステキだなと思っていたり、なにか変だなと思っていたり、色々な考えが出てきています。違いますか?
「私」がいる限り思考は止まらない
なぜなら、「私」という考えが出てくるやいなや、思考というのは止まらないものだからです。どうしたって止められないのです。思考は限りなく続いていきます。あなたが、自分の思考のプロセスは、いのちにとっては何の価値もないとわかったら、思考というのは単に記憶が再生されているだけのことであり、意味もない同じ思考がわけもなく繰り返されているのだとわかってきます。でも、あなたがそれを喜び、この繰り返しに夢中になり、素晴らしいものだと思い込んでいたら、思考を止めることは出来ないのです。思考のパターンに気づき、思考の愚かさがわかってきたら、徐々にあなたは思考から離れていき、最後には思考は崩壊していきます。思考というのは、注目されなければ存在し続けられないからです。
by Sadhguru