ラメッシ・バルセカールの世界
今回は、初めてラメッシ・バルセカールの動画を取り上げることになりました。ラメッシ・バルセカールは、動画内でも話が出ているように、ニサルガダッタ・マハラジの通訳として3年余りのお役目があり、その後晩年は、マハラジの教えを引き継ぎながらも独自のエッセンスを織り込んで、探求者たちの質問に答えるという仕事をすることになりました。
会話の中にソースという言葉がたくさん出てきましたが、ソースとは、他には神、真我、意識、源泉、源、実存など、さまざまに表現されているもので、言葉には表すことのできかねる非現象状態のことを意味していると捉えられます。
ラメッシ・バルセカールが「『誰もが本来ソースである』とわかった上で、どう人生を生きるのか、幸せであるのか・・・そこが問題だ」というとき、物質世界からスピリチュアルな探求に入り、さまざまなプロセスを経た後に、探求する個人が消えたときにも依然と存在する肉体とマインドを持つこの存在はどう生きたらいいのか、どう幸せであれるのか・・・という大きな命題が与えられたような気がしました。
とはいえ、以前のようにそれを「目的」として捉えるのではなく、ソースが行為者であるという恩寵の中で何が展開されていくのか、それを無執着の境地から見届けていくこと、静寂の語ることを受け入れること、そこにすでに生き方も幸せも含まれているように思えます。
いつもありがとうございます。
We are the source.
with VastStillness
ニサルガダッタ・マハラジとの出逢い
質問者(以下Q): ニサルガダッタ・マハラジのことを初めて知ったのはいつですか?
ラメッシ・バルセカール(以下R.B): 初めて知ったのは・・・ラマナ・マハルシのアシュラムにあるマウンテン・パスという雑誌で、彼についての記事を読んだときです。スーザンなんとかという人が・・・
Q:ジーン・ダンではありませんか?
R.B: あっそうです、ジーン・ダンでした。「I Am That」という本について書かれた彼女の記事を読んだのです。それを読んで本を買い、週末に読み終え、彼に会いに行きました。
Q: それは何年のことですか?
R.B: 1978年のことです。
Q: マハラジのところにはじめて行った時、どんな感じがしましたか?その時、何か特別な感じがしましたか?
R.B: いいえ、特に・・・。そこで話される内容に関して私もずっと興味がありましたので、特別な感じはしませんでした。でも、それ以上にマハラジが私に話してくれたことが衝撃的でした。
Q: あなたにとって「I Am That」という本は強く感銘を受けるものでしたか?
R.B: もちろんです。とても感銘を受けました。
Q: あなたにとって「I Am That」の中で特に印象深いところはありましたか?
R.B: 特にありません。すべてです。それまでにも私はたくさん本を読んでいましたので、ニサルガダッタが言っていることは、私が言っていたこと、すでに知っていたことを確かめさせてくれるものでした。
Q: 初めてマハラジに会いに行った時、マハラジの本に感銘したという他に、何か個人的なつながりを感じましたか?
R.B: いいえ、とくに・・・。
Q: マハラジとの関わりの中で、あなたが何かに直面したり、あるいは、一気に気づかされるようなことはありましたか?
R.B: マハラジが私を気に入ってくれているのがわかりました.
Q: どのくらい頻繁にマハラジのところに通っていたのですか?
R.B: 毎朝です。
Q: 1978年から・・・
R.B: ほぼ3年間です。
Q: 私が行ったときには他の通訳の方がいたのを記憶していますが、いつマハラジから通訳をして欲しいと頼まれたのですか?
R.B: 通い始めて6ヶ月くらい経ったころです。
Q: 毎朝あなたが通訳していたのですか?それとも時々でしたか?
R.B: ほとんどの場合私が通訳していました。時々ムラーパタンや他の人がやりました。でも、マハラジは外国人が私の通訳のほうを好んでいることがわかったようでした。たぶんですが、他の通訳者は外国人に慣れていなかったからだと思います。一方、私は銀行員でもあったので、外国人にはより親しみがあったのです。ロンドンで3年過ごし3年間勉強しましたから。ですから、私は外国の文化をよく知っていたのです。私が通訳する英語の方が外国人にはわかりやすく、マハラジにもそれがわかったのだと思います。だから、できるだけやってほしいと頼まれたのです。
ニサルガダッタ・マハラジの教えの中核
Q: マハラジのやってきたことをどう捉えていますか?あなたにとって、マハラジの教えの中核となるものは何だと思いますか?
R.B: マハラジの教えの真髄は、誰もが「I Am That」だということです。人間は誰もが本来「ソース」(源、源泉)であると言っていました。非個人的な意識が、肉体とマインドをもつ有機体と一体化しているのです。ですから、基本的には、どのエゴも本来は非個人的な意識である「ソース」なのです。それをどう表現しても良いですが・・・。原初のエネルギー、非個人的意識、気づき、それをどう呼ぶにせよ、それが個々の肉体とマインドを持つ有機体、そして、それらの名前と一体化しているのです。それは名前と形のある個別の存在、エゴというものです。マハラジの教えはそこに焦点を当てていました。
Q: マハラジは「在るということにとどまりなさい」「すべてを手放しなさい」などと表現していましたが,あなたはその辺をどうやって理解したのですか?
R.B: 「在るということにとどまりなさい」というのは、個人的なアイデンティティーに巻き込まれないことという意味です。マハラジが意味していたのはそういうことです。マハラジの言いたかったことはそれです。あなたは「在る=それ」なのです。それを常に聞き、私は本来ソースであると受け入れた上で、私には問題がありました。あなたもソースだし、彼も彼女もソースだ。だとしても、私には自分自身と関わっていかなくてはならないという問題があったのです。私の問題は、自分はソースである、あなたもソースである、それがわかっている上で、どう人生を生きるか、幸せになるかということでした。それは私の見解であり、ニサルガダッタの見解ではありません。
ニサルガダッタ・マハラジ(以下N.M):私が自分の実存に気づき、作り話を追いかけることもなければ、妄想もなく、幻想もない。
Q: 皆さんが理解できるようにもう一度お尋ねしますが、マハラジの全般的な教えは「一体化するな、在ることにとどまれ」だったのですね。でも、私は覚えているのですが、マハラジは一度たりとも、どう生きるとかいうことに関しては話しませんでした。そういうことに興味を示しませんでした。
N.M: 私に実用的な質問をしないでください。それらは私に関係のないことです。私は肉体レベルでの話はしません。「在る」ことにとどまりなさい。やるべきことはそれだけです。
Q2: ちょっと聞いてみたかったのです。
N.M: それは関係ありません。無執着にとどまりなさい。「在る」にとどまりなさい。私に実用的な質問はしないでください。
悟りの探求・・・してどうする?
Q: グルへの感謝の思いがありますか?
R.B: もちろん当時は感謝でいっぱいでした。ですから一週間目に、感謝の思いが沸き起こり、マハラジのためならなんでもやったのです。ですから、マハラジが必要なことは何でもやりました。私にできる限りの献金もしました。そうやって感謝を表しました。
Q:今の時点で、ニサルガダッタ・マハラジが後世に遺したものは何だと思いますか?
R.B: 根本的に、すべての人間、すべてのエゴは本来ソースだということです。なぜならばソースがすべてなるものだからです。ソースが唯一の実存だからです。ですから、どんな人間も本来ソースなのです。私の見解から、とても大切で覚えておかなくてはならないのは、人間は一人ひとり誰もが本来ソースだということです。ですから、私という存在ができることはなく、また、あなたという存在ができることもなく、行為者はソースしかありえないのです。
Q: ありがとうございました。
R.B: 「悟りの探求-なぜするのか?」。これが私の最も言いたいことです。なぜ悟りを探求するのか?悟りの目的は何なのか?
ラメッシ・バルセカール逝去2009年9月27日
※Rays of the absolute (ニサルガダッタ・マハラジの遺したもの) からの抜粋