「予言」「警報」が先走る
昨日の朝、震源地が福島沖だという地震があり、私の住んでいるところでも未明の空に派手な警報が鳴り響き、地震の揺れというよりは、その音で目が覚まされるという体験をしました。この禍々しい音には、これを聞くと311の地震体感が呼び覚まされ、最大限あの時の揺れを想定し始め、そこまでいかないと安堵する、あるいは期待はずれみたいな感覚になるという効果?が仕組まれているのではと、今朝の体験でよりはっきりと感じとることが出来ました。
これは、一昨日予測されていた数十年来の大型台風本州上陸、記憶に新しいところでは今年2月予測された大雪警報での動向と相通ずるところがあります。それは、予報が当たるとかハズれるとかいったことではなく、ひとつに私たちの中で、予報によってある好ましくない現象を想定し始め、そこで「恐れ」と「予期(それが起こることを期待すること)」が動き始めること、もう一つは、それがその通りにならず(何も起こらず)通過して行く時に感じる、一種の落胆、裏切り、期待を却下されたかのような感覚が動いているということです。
不安定な時代に横行する「予言」
この感覚は、有史以来予言され続けている世界的な大惨事、大変動においても然りです。特にここ数十年間は、様々な古文書、地球外生命体からのチャネリング情報、高次元より霊的な言霊を降ろして書かれた預言書、また内在神とつながって直感的に得た情報・・・などがこぞって危惧している「大変動」の時代の到来が予言されています。中には特定の日時を「危険日」としてイベント化している場合もあります。つまり、私たちは「予言」「予知」「予報」に取り囲まれて生きているのです。
魂の成長が一大飛躍する「予言」時代
そんな状況を踏まえて、「予言」を超越したマスターたちは、今私たちに何を教えてくれているのかを見てみると、そこに一貫性のある不動のメッセージを読み取ることができます。それは-
・この時代に生きていることは自らの勇敢な選択によるものであり、この人生は魂の成長にとって計り知れないチャンスに満ちていること
・「恐れと痛み」だけが私たちを大きく成長させるのではなく、「愛と喜び」の体験によっても豊かに成長することが出来ること
・内なる意識の変容というのは、ある出来事を体験することではなく、変容は魂の旅の過程に常にあり続けること
・私たちは、十分に今このままで愛そのものであること (不完全さ、罪悪感、無価値感の幻想に気づくこと)
です。
Here I AM~私はここにいる
今私たちにとって最も大切なことは、自分自身を見つめ、気づきを深めることによって、自分の中から溢れてくる純粋なエネルギーの導きを信頼して生きること、自信を持って、すべてをありのままに見ることを学ぶこと、どんな意識体験をしても自分の周りの環境、環境全体と矛盾しないように調和して生きることです。
ニューエイジ、ニューアースは、「予言」「予知」「予測」されているイベントの向こう側で幕開けするものではなく、今ここで、一瞬一瞬開かれているのです。どんな「予言」や不安材料が飛び交っても、立ち返るところは「ただ在る自分との繋がり」、日々準備しておかなくてはならないのは「 揺るがない、優雅な真の強さ」なのです。
2 comments
本当にそうだ、と思います。南海トラフ、富士山の爆発、地球温暖化、不安になればいくらでも不安になれる情報があふれています。しかしそれにおびえてばかりいることが生産的な暮らし方でしょうか?色んな人が色んなことを言うけれど、なんとなく「絶対に(東海地震は)起こらない」「富士山は平穏」と思います。本当になんとなくなのですが、それを感覚のような部分で信じることも大切と思うのです。備えあれば憂いなし。備えだけしたら、あとは一日一日を思いきり生きるだけです。
斎藤三恵さん~こんにちは!
世界情勢、この先どうなるのだろうかと読めなくなって来ているこの時代は、まさに「予言時代」だと思います。
どんな状況下に置かれても、その時やるべきことに自信を持ってアクションを取り、それがお互いの霊的な成長を助けあうことなのかなと思っています。
コメントありがとうございました☆感謝