私たちの道に絶望という言葉はない
13世紀の神秘主義詩人ジャラールッディーン・ルーミーの詩の中で、何度も振り返して読む詩がいくつかある。時空というイリュージョンの中で、時にまったく咀嚼できなかった一節一節も、今この時に新しい新鮮な理解を運び込んでくることがある。同じ瞬間が二度ないのと同じで、理解も瞬間の産物なのだから同じ理解も在り得ない。
今回は、数世紀にわたってさまざまに解釈されてきた詩を今感じるままに訳してみる過程で、今この瞬間の内なる調和と理解に導かれたと思う。言葉は不動の言葉であって無常の姿を見せる生き物のよう。その在り様がまさに私たちそのものだから、私たちは言葉に魅了されるのだろう。
さぁ戻っておいで、何度でも戻っておいで
ふらふらと彷徨う人、何でも信じてしまう人、一箇所にとどまれず転々とする人
あなたがどんな人であろうとかまわない
私たちの道に絶望という言葉はない
たとえあなたが自分で決めたことを何千回も破ったことがある人だとしても
さぁ、もう一度もどっておいで、何度でも戻っておいで
by ジャラールッディン・ルーミー
私たちは誰もが程度の差こそあれ「ふらふらと彷徨う人」であり、「何でも信じてしまう人」であり、「一箇所にとどまれずに転々とする人」だろう。それが思考の性質であり、エゴ的私のとる動向だからだ。エゴ的あなたがどんな人であるか、それは一切問題ではない。私たちはあなたの何かを問題視して解決しようとしたり、変化させようとする次元にいるのではない。さぁ絶望というイリュージョンのヴェールを脱ぎ捨てて、ともに歩んでいこうではないか。
解釈・拙訳 by yukiko hirayama