新しい天と新しい地
内面的な意識の領域=天、その内面を投影する外的な現れ=地
目には見えない意識の領域が、今の時代ほどあからさまに、表に現れ出ていると感じる時代はないのではないだろうか。古い価値観に振り回されてコントロール下に置かれっぱなしの人間の機能不全は、この世のカオスとして現れ、一方、その機能不全に気づき、人間本来の本質に目覚め始めた洗練された魂たちは、すでにもう一つ別の意識の領域にいき始めている。
私たちは、個人としての人生という枠組みを超えて、根源的意識の向かう方向を意識した生き方へシフトし始めている。文明の進化、科学の進化ではなく、意識の進化を、今世この地球に人間として生きることを通して具現化していきたい。これからも地球にやって来る多くの魂が、進化の喜びを体験できるフィールドとなるように。この美しい星が更なる輝きを放つように。
May God Bless Us All
with vaststillness
人類は種族として生き残れるのか?
質問者:「人類は今、進化するか死ぬかの選択を迫られている」と書かれてありました。そこで私からの質問です。「進化するか、死ぬか」という真意は文字通りのことを意味しているのでしょうか、それとも、比喩として使ったのでしょうか、そうだといいのですが・・・。
エックハルト。トール:「進化するか、死ぬか」とは、人類をひとつの種族としてみた時に、人類は生き残れるかどうかということを意味しています。たとえ、人類が種族として生き残れなかったとしても、意識にとっては何の損失もありません。
私たちがここにいるということは、唯一存在する意識が私たちという形となって現れ出てきたということです。意識は、宇宙の進化の過程にあります。私たちは、共に人類という形を通して意識の進化を分かち合うために、今ここにいます。意識というのは、何億何兆ものさまざまな形をとって現れることが出来ます。そして、それらを通して進化しています。現れてきていない意識は、もうすでに完璧です。それを神とも言います。そこには時間がなく、完璧で永久普遍です。
意識は形を変えながら進化し続ける
それに対して、現れてくる意識の次元があります。古代の賢者は、これを「夢のようなもの」と表現しました。意識が、何らかの理由でこの形ある世界に来ることを望んでいるのです。この形ある世界に来て進化していくのです。言い換えると、意識である神がこの形ある世界に徐々にやってきているということです。あなたを通して、私を通して神が現れ出てきているのです徐々にどんどんと神がやってきているのです形を通したレッスンの比重が大きくなっているということです
しかし、たとえ人類が進化を成し遂げなかったとしてもすでに意識の目覚めに至った人間たちがより楽に自己表現していることで意識は上昇しているのです究極的には、私たちは形ではありませんこの見ている身体が私たちではないのですあなたは形を超越した形なき意識そのものなのです一時的にこのような形を取ってこれが自分だと思っているのですこの形はいつかは分解されていきますが意識は続行していきます意識は引き続き進化していきます形を変えて存続し続けていくのです素晴らしいプロセスをとっているのです
ですから、恐れることは何もありません「進化するか、死か」と言ったのは人類を種族として見た場合のことですしかし、究極的に言えば死ぬものは何一つないのです意識の変化があるだけです形としての変化があるだけです究極的には死というものはないのです
1 comment
駅や公共施設ではネットスマホ中毒の蔓延増加で常に脳内逃避、
20代も60代も苦情我侭を言う時代、コンビニや少し待つ場では早くしろの連発、
高齢者の認知症と徘徊、道路では逆走頻発、巷ではゴミ屋敷等、
思考重視で来た今までがこの通りで、エックハルト・トールが言う死ぬしかない、
機能不全は当然でしょう。
まあこうやって評価判断するのも思考のワナ?かもしれませんが。