真似する人生から、真の自由への道へ クリシュナムルティ

あなたは何者なのですか?

今回は、既存の宗教、哲学、グル、教団、信念・・・あらゆる精神的束縛、制限、条件付けからの解放を説いたクリシュナムルティの講義(1981年)の一部をご紹介します。クリシュナムルティの講義は、自分を語る時Speaker(話している人)と表現するほど、自分に付けられるアイデンティティさえも弾き返すほどの勢いを持っています。「クリシュナムルティの教え」という捉え方も意味をなさず、I am Nobody. 私は何者でもない・・・つまり「あるスピーカーの話」ということになります。クリシュナムルティの教えを信奉することは求められていないのです。

この意味でも、クリシュナムルティを追いかけるのは至難の業なのです。実際、若いころのクリシュナムルティの美男子ぶり、あまりのイケメン覚者に「お願いですから信奉させてください」とファン(注:その真理に釘打ちされたファン)は後を立たなかったのですが、結局クリシュナムルティは、何かを信じ始めた人々の辿る姿に幻滅し、自分の教団さえ解散するに至ったことは、あまりにも有名です。

以前オープンクラスで、瞑想を語るクリシュナムルティの動画の一部を紹介したことがありましたが、「瞑想する前に、そもそも瞑想とは何なのか、瞑想を通して何を探し求めているのか?」を語る有り様は、またしても私たちの“常識的な”探究心に活を入れるもので、そのあまりの小気味良い語りに、ますます私たちはクリシュナムルティファンになってしまったという笑い話もあります。

「何も信じない、誰も信じない」こと出来ますか?

今回の動画では「イミテーション」という言葉が連呼されています。私たちは教育を受けてきた、知識を得てきたと思っていますが、すべては「真似」することを学んできたのではないか・・・まさか、「悟り」も真似しようとしているのでは?また、誰かの追っかけをしようとしているのでは?と、フォロアーであることへの再認識を投げかけています。ドン・ミゲル・ルイスは、これを「飼いならされた人間」と表現していますが、「何かを信じたい」この心理の背後にあるコントロールと恐れに目覚め、「飼いならされた人生」ではなく、「自己責任において真の自由を手にした人生」へシフトしていくためのシークレットが、「何も信じない、誰も信じない」ことであるとしたら、私たちにそれが出来るのだろうか?やっぱり、もうしばらくはクリシュナムルティを追いかけていくしかないのかな・・・(笑)と思ってしまいます。

クリシュナムルティ:真似する人生から、真の自由への道へ

5番目の質問です。「あなたは何者なのですか?」これを聞いてどうするのでしょうか?それともあなたは「あなたは何者なのか」ではなく「私は何者なのか」と言う意味で質問したのでしょうか?

そこで「私とは何者か」をあなたに伝えたとしてそれが何になるのでしょうか?それは単なる興味本位に過ぎません。違いますか?それはレストランの入り口にあるメニューを眺めているようなものです。あなたは中に入って食べなければならないのです。レストランの外に立ってメニューを眺めているだけでは、あなたの空腹は満たされません。

ですから「私が何者なのか」をあなたに伝えることは、実に意味のないことなのです。第一に、私は何者でもありません。それが答えです。答えは簡単です。私は何者でもありません。

しかし、重要なことは「あなたが何者であるか」ということです。あなたは何者なのでしょうか?人々が「あなたは何者なのですか?」と質問する時、その質問には「あなたは偉大なる方なので私はあなたを真似ようと思います」ということが含まれています。「あなたの歩き方、話し方、歯の磨き方など、何でもあなたのすることを真似てみます」それは私たちの習性です。そうですよね。

英雄、さとりを開いた者、グルがいたら、私たちは、なんでもその人達の真似をしようとするのです。まったく馬鹿げてます!誰かの真似をするなんて幼稚なことです!真似をしすぎた結果が、今の私たちの有り様なのです。宗教でも、彼らは「真似」という言葉は使っていませんが、神にすべてを明け渡し誰かに従い、名のあるものを崇めまつる、それが宗教です。そうやって出来上がったのが、今のあなたなのです。

学校で、あなたは真似ることを学びます。知識を得るということは、真似をするという行為です。ファッションの流行もあります。長いスカート、短いスカート、長い髪、短い髪、ひげをのばす、どれもこれもマネばかりです。また、内面的なことも私たちは真似をしようとします。誰もが分かってます。

しかし、自分が何者であるのかを見出すことは、ここで話をしている者が何者かであるかを知ることより、もっともっと大切なことなのです。自分が何者であるかを見出すには、問いかけていく必要があります。あなたは人類の物語そのものだからです。もしあなたが本当にそこのところがわかったら、あなたに活力、エネルギーがみなぎり美と愛が溢れてくるでしょう。そうなったら、あなたは地球の片隅でもがきあがいているちっぽけな存在ではなくなります。あなたは全人類の一部なのです。あなたは責任重大な存在、活力ある愛と美の存在なのです。

しかし、ほとんどの者はそこがわかっていないのです。ほとんどの者は、自分のことだけ、自分の些細な問題、悲しみ等で精一杯なのです。その限られた現状を乗り越えるのは、不可能だと言っても言い過ぎではありません。なぜなら、私たちはコンピュータのように、完全に条件付けられ、プログラム化されてしまったので、新しいことが学べなくなっているからです。コンピュータは新しいことを学べますが、私たちにはそれができないのです。これは悲劇というしかありません。

自分たちが作ったコンピュータという機械は、私たちの頭脳を遥かに超えてなんでも早く学ぶ事ができるのに、それを発明した私たちの脳の方は、究極の知性的機械と化してしまったのです。私たちの脳の方が、遅れをとっているし、鈍いのです。なぜなら、私たちはグルや司祭、お金持ちに従ってきたからです。革命家やテロリストになって支持するものを変えたところで、それも上っ面なものでしかありません。政治の仕組みを変え、いわゆる社会を変えようとしてみたところで、社会というのは、もとを正せば人間と人間の関係性なのです。

私たちが今、話しているのは物質的な革命ではなく、精神的な革命のことです。深いところで誰にも服従することのない精神性についてです。インドには民族衣装がありますが、この国ではズボンをはかなくてはならないとか、そのような幼稚な服従を話しているのではありません。そうではなく、もっと内面的なことです。服従もどきの話ではありません。

比較のあるところに服従は存在します。マインドは、完全に比較から自由にならなくてはならないのです。つまり、あなたは自分自身に深く刻みこまれた歴史すべてを見直していかなくてはならないのです。

3 comments
  1. こちらの記事もオススメが邪魔してコメントしずらい、皆わかっていない人が多すぎるのか、真剣に話す場をなかなか作れないからなのかどうかはまだ分からないけど俺の周りにはそんなことより金稼いで仕事できるだの出来ないだの陰口言うような輩が多かったんじゃないかな?簡単に言えば俺は他の誰でもないから比べてもらいたくない、そんな当たり前のことさえ分からないでいる奴なんて結構いるんじゃないかな?俺は人間が何なのかを知ってるよ、何故馬鹿げたような人間が多いのかが分からないけどあなた達みたいな人の言ってることに目を通すと俺が感じてたことと似てるかもと思うよ、あなたがどう思うかは知らないけど教えといてあげるよ、この世には全ての意味がありその全ての意味を学び知ったのは俺だけだよ、今はなかなか表舞台に出れないけどこの世で人生を送るってこう言うもんなんだなと知ってしまったから辛い日々が続いたけど何とか生きてる今覚悟を決めても良いかなと思いはじめてたとこなんだ、生きる意味を知らず現実が何なのかを知らずによくまぁ皆頑張ってるね、興味あったら教えてやるよ連絡してきな、皆大事な事を分かって無さすぎなんだよ、じゃあね♪

  2. >「自己責任において真の自由を手にした人生」へシフトしていくためのシークレットが、「何も信じない、誰も信じない」ことであるとしたら、私たちにそれが出来るのだろうか?やっぱり、もうしばらくはクリシュナムルティを追いかけていくしかないのかな・・・(笑)と思ってしまいます。

    「信じない」っちゅ~~よりも
    「頼りにならん」よね

    映画「マトリックス」は
    「全ての全てを疑うことが〝可能〟である」ことを示唆した点がエポックメイキングだと思う

    全ての〝体験〟は脳の電極に埋め込まれた電気信号で再現できるなら
    私たちが、いや「わたし」が水槽に浮かんだ脳みそだけの存在だという疑いを
    「信じる」のでも「疑う」のでもなく「疑う余地がある」・・・・

    たったそれだけで私たちは皆、世界観をひっくり返さざるを得ない

    この時、
    「純粋意識とは何か?」というムージ氏が働きかける言葉が
    非常に判りやすくなる

    全てのジブンが「体験するもの」「感じ取っていること」が
    フェイクで有り得る・・・・いま、この瞬間

    ただひとつだけ・・・
    「自分自身を愛おしいと思う」
    だそれだけの究極的なエゴイズム
    それが信念無用の真実であり、
    ワタシの世界の中心だと言うことです
    それ以外の全ての存在には、完全に保証されたものは何も無い

    全世界がガラクタかも知れない瞬間
    その唯一、「大切に思う自分自身」が身にまとう事が出来る
    ものもまた・・・・何一つ無い

    「一体どこなんだか判らない」
    「なぜわたしはいまここにいるのか判らない」

    その「判らないだらけのいまここ」にぽか~~んと唐突に浮かんでいるのが
    「私は誰か解らないけれど、でも私」という〝思い〟だけ

    ・・・・それだけが確か!
    ・・・・確かなのはそれでだけ!

  3. 風間夕夜さま、こんばんは!

    メッセージありがとうございました。上手く言葉に現れてきませんが、何かほわぁ〜んとしたものを感じ取りました。ありがとうございました。

    合掌

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