感情的な愛から「プレゼンスから現れる愛」へ!
私たちが生きるなかで、誰にとっても共通して避けることのできないもの、それは人と人との関わりです。そして、親子関係、親密な恋愛関係、上司同僚関係、ビジネス顧客関係、友人関係、お隣さん自治会関係・・・・など、さまざまな形で登場する人間関係のなかでも、特に親密な恋愛関係において、私たちはそこに「幸福・満足感、豊かさ」を追求しようとする傾向があります。
今回取り上げたエックハルト・トールの動画では、「愛とプレゼンスはどう関わっているのですか?」という質問に対して、従来の「愛」という概念を超えた、万人にとっての本質である「プレゼンス」を他者に認めていく「真の愛」への目覚めを促してくれています。この意識の目覚めと変容によって、さまざまに登場している人間関係という分離感は消えうせ、唯一、誰に対しても自分と同じ不変の本質を認めていくという限りなくオープンで温かい「愛」を感じ、また発していくことができるようになります。
私たちの意識の変容は、確実に従来の人間関係のあり方を変えていきます。条件付けられたマインドから抜け出していくことによって、不必要な縛りが解け、究極的にはご縁のある方々と愛着を持った関係性を持ちながらも、「プレゼンス」である自分を深く感じ取っていくことが新しい関係性のあり方となっていくのです!これこそが本当の心のトキメキ、自由と解放の愛の表現ではないかと思います。
I am Love. I am Presence.
愛と感謝と共に
with VastStillness
エックハルト・トール~長続きしない「感情的な愛」
「愛」と「プレゼンス」はどう関わっているのでしょうか?という興味深い質問がありました。しかし、私たちはまず始めに、「愛」とは何なのかを知る必要があります。「愛」は、ほとんどの場合感情だと捉えられています。「愛」は、従来特定の人に対する強い愛着を感じることだと思われています。例えば、あなたがある人に恋をすることが「愛」であり、それは、強い感情なかなか離れない感情のことです。これが悪いといっているのではありません。
しかし、よくよく観察してみると、あなたも自分の人生を通してわかっているかもしれませんが、その感情「愛」の関係性はあっという間に、その逆の感情「憎しみ」へと変わってしまうものです。新婚旅行を終えたばかり、その1年後、2年後、4年後に、少し前には、永遠の愛を誓い合いこの人こそが私を幸せにしてくれる人だとと思った者同士が、いとも簡単に強烈な嫌悪感を感じる者同士へと様変わりしてしまうのです。ですから、感情的なものとしての「愛」は長続きするものではなく、簡単にその逆の感情に変わってしまうものです。
感情よりも深い真の愛は「プレゼンス」から現れる
しかし、人間には感情よりも深い「在る」という状態があります。あなたが他者のなかに、あなたの本質と変わらない同じ本質があることに気づき、あなたと他者とを深いところでつなげる何かに気づいたら、それは何か違ったものです。つかの間の感情的な愛ではなく、他者を愛することはできるのでしょか?深い愛の状態は「プレゼンス」という意識状態からしか現れることはありません。他者と共にあるとき、あなたが「プレゼンス」であれば、あなたは自分のマインドの判断、批判、その人に対する決めつめにとらわれることがありません。純粋な「プレゼンス」の空間から、その人を見ることができるのです。
そして、相手を見て、本当のあなたである「プレゼンス」の意識をその人に感じることもできます。その人を見るとき、その瞬間あなたは自分自身の意識を感じるのです。その人を見るとき、その人の深いところを感じ取ることができ、相手の中にもあなたを生かしている同じ意識を見ることができるのです。もちろん彼らには、彼らの個性、条件付けられたマインドがありますが、それでも、あなたの本質と同じものを彼らの中に感じ取ることができるのです。
「愛」とは相手を自分自身とみとめること
それができるもの、あなたが「プレゼンス」であるときだけです。なぜなら、あなたが「プレゼンス」でなければ、あなたは自分のマインドと自分自身を同一化しているからです。あなたには他者に対して持っている思い込み、相手に要求する感情的なものしかなくなっているからです。ですから、「愛」というのは究極的には感情を越えた「真の愛」のことです。「愛」とは、あなたの本質を他者のなかにも認めることです。究極的には、「愛」とは他者を自分自身とみなすことです。相手の個性のことではなく、本質の面でということです。
2000年も前に、すでにこのことは言われていましたが、それは誤解されてしまいました。あなたが「プレゼンス」であるとき、あなたは他者を自分自身として愛することができます。それは、自分自身を愛するのと同じくらいに他者を愛するという意味ではありません。他者の中に、あなたの本質と同じものを認めるから他者を愛するという意味です。イエスが「隣の人を自分自身として愛する」といったのはそういうことです。
「真の愛」は相手を選ばない
ですから、あなたがある人といわゆる「関係性」を持つ必要もありません。その辺のレストランやエレベーターの中、何かを買うときにあなたが出会う人、誰にでも、あなたが誰かに出会いお互いの「プレゼンス」という空間を相手にも感じ取ることのできる瞬間があれば、その意識-究極的にはそれはあなた自身なのですが、それを他者の中に感じ取れるのです。それは、その時その人がどういう個性を持っている人だとしても、それがその人の本質なのです。それは、他者とワンネスを感じられるとても深い満足感のある感覚です。ですから、あなたがその人と関係性があるとかないとかはまったく関係ないのです。
あなたが他の人間に会うとき、それが誰であっても、あなたはあなたの愛を相手に放つことができるのです。それが「真の愛」です。そして、もしあなたが誰かと関係性を持っているとしたら、感情的な愛も同じように「プレゼンス」であることが望ましいです。自分と同じ本質を持つものとしての相手への深い愛に加えて、感情的な愛着も抱くことができます。しかし、その人とある期間住み続けているなかで、感情的な愛着はあるにせよ、いままでほどは重要なものではなくなっていくことに気づくでしょう。深いところで自分と同じ本質を持つ相手との関係が、関係性の基盤となっていくのです。それがスピリチュアルな関係です。
深いスピリチュアルな永続する人間関係には「プレゼンス」が不可欠
もし、関係性が長続きするもの、満足のいくものであればと思うのであれば、その関係性においてあなたは確実に「プレゼンス」である必要があります。あなたは、あなたのマインドが持つ条件付け、思い込みから抜け出し、関係性において「プレゼンス」であるということです。他者との関係性において「プレゼンス」であるということは、相手のことを頭のなかの決め付けで観るのではなく、純粋な「プレゼンス」の空間としてみるということです。そうすると「真の愛」が現れてきます。
つまりそれは、スピリチュアルな次元がその関係性の基盤になるということです。何かが起こっても、お互いの個性を超越していくのです。もちろん個性はあり続けますから、時には人間ですから意見の食い違いもあることでしょう。しかし、違った意識が関係性のなかにあれば、それらすべてを乗り越えていくことができるでしょう。そして、それは「プレゼンス」であることからしか現れてきません。ですから、他者との深い人間関係満足感の在る人間関係には「プレゼンス」が必要不可欠なのです。
そうなるまでは、人間関係というのは思うように行かないものです。みなさんもお気づきだと思いますが、多くの人にとって、最も悩み苦しみとなるものが人間関係です。自分に幸福と豊かさをもたらすと思っていたまさにそのものが、ほとんどの場合悩み苦しみの大元となってしまうのです。それは残念なことです。そんなことにならなくてもいいあり方も在るはずです。しかし、そうならないためには、あなたは「プレゼンス」であることを学ばなくてはならないのです。
by エックハルト・トール 「愛とプレゼンス」Love and Presenceより