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「死にゆく友からのメッセージ」ジェフ・フォスター

2014年8月7日  /  4コメント


「死」は意識の拡大と直結している

人の死は、古い私が死んで、そして新しく生まれ変わろう、新しい生き方をしよう、新しい意識で生きよう、より自由に自分の夢を生きよう・・・という時にやってきます。その変化は、身近な者の死だけがもたらすものではありません。311の東北大震災のように多くの死者を出した出来事では、直接的に死者との関わりがなくとも、日本人、そして世界中の意識を変化させることになったのは記憶に新しいことだと思います。

個人的には、私は両親、夫の死を体験しましたが、今振り返って見るとどの時も人生の大きな転機となりました。聖なる魂同士の契約は、肉体の死を伴ってまで「意識の拡大」を応援し実現しようとしているのだということは、今まで感じ続けてきたことです。中でも、親族の死を「古い自分の死」とはっきり捉えられたのは2008年に肉体を脱いだ夫の死の体験でした。この時ばかりは、今までの自分で生きることが遮断され、意識の大変革を余儀なくされました。そして、有り難いことに彼の魂の守護、私たち家族一人ひとりの「意識の拡大」への応援は今でもずっと続いています。

もう「死んで教える」必要がなくなる

しかし、私たちはどこまで「人の死」を通して学び続けなくてはならないのでしょう?それは本当に「人の死」なのでしょうか?

ここ数年、また確かになってきたことは、もう、誰かの死を通して成長しなくても良くなったということです。「古い自分」が残っていれば、常に、今ここで、新しい意識に書き換えられるからです。死後の世界、あるいはそれより高次の世界とのアクセスが自由になってきている今、誰かが「死んで教える」必要がなくなってきているのです。

「死」に対する幻想は、もっともっと暴かれていくことでしょう。

死にゆく友からのメッセージ

やさしい、気の利いた言葉が欲しいなんて思っていないよ。
お前さんの処世術なんか聞いて何になるんだよ。哀れみはご無用だ。
私の気分を盛り上げようなんてもってのほかだよ。
私だって生身の人間だってことだよ。お前さんと同じね。

ただ一緒にいておくれ。いいね・・・じっと静かに。
いてくれるだけ、ここに存在してくれてるだけで本当にありがたいと思ってるよ。

落ち着かないかい?でも、自分を恥じるんじゃないよ。
言葉が見つからなくたって大丈夫だ。私だって同じようなもんさ。
気分が悪くなってきたり、怒りや恐れがこみ上げてきたり、なんだかよくわからなくなったとしてもなんだってオーケーだよ。
そんなお前さんが好きだよ。人間らしくってね。

どっかで教わってきたことなんか、すべて忘れちまいな。いい子ぶったりなんかするんじゃないよ。そんな野暮なことはするな。
同情なんていらないよ。

それよりもっと本質を見つめて欲しいんだ。
いいかい、私はあんたなんだよ。姿形は違うけど、もろくなった骨、浅い呼吸、曲がった手足、みんなお前さんのもんなんだ。
お前さんが私に見ているのは、自分自身なんだ。

強がらなくていい。私は犠牲者なんかじゃないからね。
泣きたかったら思う存分泣けばいいさ。
叶わなかった夢、失われた未来を嘆き悲しむがいいさ。
そして、過去もみんな捨てちまってさ。

ただ、今しかない今ここで、お前の全身全霊、お前の存在すべてで私と向き合っておくれ。

今、原始古代語で話してるんだ。ひとつも見逃すんじゃないよ。いいね・・・。


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4コメント

  1. nobuko より:

    yukikoさ〜ん こんばんは☆

    無性にお礼コメントを出したくなって…
    でも言葉が出てこない…(*^^*)

    Love here Now.
    Here I AM!!

    信頼♡感謝☆
    が出てきた。笑

    いつも ありがとうございます♡

  2. yukiko より:

    NOBUKOさん、こんにちは!

    コメント、ありがとう!
    信頼☆感謝・・・いいね!

    こちらこそいつもありがとう~

  3. Teao (留場芳則) より:

    Yukikoさん、こんにちは

    読んでいて、3年前に他界した父の見舞いでの出来事を思い出しました。
    父は若年性アルツハイマーの認知症から誤嚥性肺炎をくり返して入院していました。
    父は自分に息子がいるコトを知っていても、もう見舞いに行った僕が息子だとは分かっていませんでした。ある時、僕は父に問うてみました。

    「最近、息子さんは見舞いに来たの?」
    「いや~ぁ。来てない。あいつは仕事で忙しいから来れないんだ」
    「そうなんだ。でも、さっきナースステーションで聞いたら、昨日息子さんが見舞いに来たって看護師さんが言ってたよ」
    「そうかぁ?。でも、オレは会ってねェ」

    そんな調子で父との会話は、弾むこともなく何時も沈黙が流れました。
    僕は例え父と話さなくても、こうしてベッドの横で付き添っているだけでイイんだと分かっていました。

    僕は、ただ父を見ていました。
    父はベッドの正面の壁を、ずっと、ただ見ていました。

    その時、僕はある思いを感じました。

    「いま僕は、自分の息子に見舞いに来てもらっている・・・」

    えっ!。その時、僕は不思議な感覚を覚えました。

    息子は僕です。その僕が、自分の息子に見舞いに来られているという意識を感じたのです。
    僕は思いました。きっと僕の思考が父の思考と同調(シンクロ)したのかも知れない。
    その瞬間、僕は父で、父は僕だったのだと・・・

    そうか、これがワンネスっていうことなのかも???。

  4. yukiko より:

    TEAOさん、こんにちは!

    コメントありがとうございます。
    僕は父で、父は僕・・・本質、エッセンスが様々な姿カタチとなって目の前に繰り広げられているのですね。これぞワンネス☆

    いつもありがとうございます!

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