スピリチュアルに逃避していないか?
依存症治療、注意欠陥障害治療の権威であるガボール・マテ医師の動画「スピリチュアルな探求 その心理について」を取り上げてみました。Dr.マテは長年の研究と経験の中で、病気、特に難病患者の治療に当たることが多い中で、その背景にはほとんどの場合「抑圧された感情的な痛み」があることを発見し、患者さんに「無視されてきた感情やネガティブ思考」に向き合わせて治療しているドクターです。
ここでいう「ネガティブ思考」というのは、暗く悲観的な考え方という意味ではなく、「バランスを崩していること、調和していないことを見てとり、その原因を見ていこう」という意味でのネガティブ思考のことです。
Dr.マテのレポートで特に興味深いと思ったものに「ポジティブ思考な人ほど、身体的な病気が重く出る」というデータがありました。しかし、これを聞いて驚くというよりは「なるほど」という感じがするのは私だけではないと思います。というのは、一般的にはものごとを前向きに明るく考えるポジティブ思考は、あたかも順風満帆、すべてを解決してくれそうな装いを凝らしていますが、そのポジティブ思考の背景には、現実を直視せずに、大袈裟に言うと無理やり楽観的に仕向ける「逃げの心理」が働いていることがよくあるからです。
「ポジティブになろうとする」ことの裏面に、「ネガティブな自分」を否定している、無視している自分が抑圧されているとしたら、それは精神にも身体にも悪いことは明らかです。ポジティブでも、ネガティブでもどちらでもいい、ただ「ありのままの自分」から逃げないことが大切です。
「真理の探求」で何をしているのか?
「真理の探求」をし始め「スピリチュアルな探求者となった」ことによって、現実との関わりに制限を増やしていたり、自他共に対するジャッジメントを抑圧しているとしたら、さまざまな領域でバランスを崩すのは目に見えています。
スピリチュアルな学びは、いわゆる「覚醒」がゴールなのではなく、その過程において、常に変化する「自分自身への深まる理解」と「自分が創造している世界でのより調和した関係性」に反映されてこそ、そのポテンシャルを発揮するものだからです。
禅の言葉に” Before Enlightenment chop wood carry water, after Enlightenment, chop wood carry water.” 「悟る前、薪を切り、水を運び、悟った後、薪を切り、水を運ぶ」 という言葉があります。悟る前も悟ったあとも実際にやることは同じ。では、同じことをしていて何が違うのか・・・それが「意識の変化」です。
スピリチュアルな探求をしていても、怒る時はあるし、心おだやかではない時もある。でも、自分自身への理解が深まった時、人生への理解が深まった時、「その怒りは自分自身ではない」ことを認識できるようになり、「思考というものが自動的に思考している」ということに気がついているのだと思います。
with VastStillness
「スピリチュアルな探求」その心理とは?
エックハルト・トールやアジャシャンティがどう言っているか、私はよく知りませんが、たぶん彼らも、「探求」そのものは不足感から来るあり方だと言っているのではないかと思います。完全な自分になるためには、もっと何かを得なくてはならない。そして、自分を探求者と決め込んで、益々問題を増やしているのです。そこのところをよく見ていきましょう。彼らがそこをどう表現しているのかはっきりとはわかりませんが、これに近いことを言っていたと思います。
「真理」を探求することであれば、それは素晴らしいことなのですが、その探求が「確信を得るため」だとしたら、そこには制限が出てきます。つまり「真理の探求」は、現実との関わりを深めていくために使うこともできるし、現実との関わりに制限をつけるものにもなり得るのです。
カリフォルニアに住む、仏教の師であり心理学者のジョン・ウェルウッドは、これを「スピリチュアルな逃げ道」と言っています。私も、自分自身から逃れるためにスピリチュアルに逃げている人を多く見てきました。いわゆる、スピリチュアルな探求や超越的な体験の探求というもの、「私はスピリチュアルな探求者である」と決めることは、本当の自分に繋がることを避妨げかねないのです。「本当の自分に繋がる」という名の下で行われていたとしてもです。
偏りのないワーク、統合的なアプローチを!
特に病気に関して言うと、これは私の長年の研究で確信に至ったことなのですが、病気というのは感情的なレベルでの真実からの逃避を現しているものです。
自分の感情に向き合わないで、スピリチュアルな真理の探求に全エネルギーを注ぎ込んでいる人たちがいます。ウェルウッドはそのことを「スピリチュアルな逃げ道」と言ったのです。そういう人たちは美しい死を迎えるかもしれませんが、短命です。
なぜなら、感情的な現実に向き合わないことによって、免疫システムホルモンの働きを悪化させてしまうのです。本当の自分の感情表現が妨げられることによって、循環器系神経系システムなどの弊害を起こしてしまうのです。
ですからすべては、あなたがスピリチュアルな探求で何をしようとしているのかが大切です。特に西洋社会においては分離した考え方があります。スピリチュアルな探求者は怒ってはいけないのでしょうか、常に心穏やかでなくてはいけないのでしょうか。これは全部、感情的な抑圧を自分に与えていることです。
私も自分自身をスピリチュアルな探求者だと思っています。私もアンマやアジャシャンティなど見続けています。それは自分自身への理解を深めるための指針として、世界との関係性をより良くするためです。しかし、それと同時に、ワークはさまざまな領域で行われるべきもので、それがスピリチュアルな領域だけで行われると、それは私たちの総括的な体験を制限するものとなりかねないのです。
by Gabor Mate(scienceandnonduality The psychology of spiritual seeking)
1 comment
この動画からのオープンクラス。
私の中ではすごく重なりました。正にあれ、あの時でした。
大切な時、を頂きありがとうございました。
そして心遣いに感謝します。