It’s time we change our minds. But how?
「ついに、ものの見方、捉え方を変える時が来た!」
私たちは、どうも今まで通りの思考回路では追いつけない次元に突入しているようです。ここ1年あまり、特に今年に入ってのここ1週間、そのエネルギーが強くなってきているのを感じています。考え方を変えようとか、出来事に対する意味付けを変えてみようとかいうレベルではなく、もっと根源的に、私たちが現実と思って観ているものの正体を知って、意識状態をより調和したものへと立ち返らせて生きていきたいという、一種の衝動とも言える思いが、多くの人の内面で強くなっているのではないかと思っています。
私たちは、状況や環境、場所をどのように変えても、自分からは逃れられないことを知っています。外的条件によって幸せになったとしても、それも長続きしないことも体験してきています。相手のせいで、環境のせいで自分が不機嫌・不幸になっていると思っていたことも、実は違ったんだということもわかってきました。そして、さまざまな過程を経て、ついには「すべては自分の内面で起こっていること」という領域にまでたどり着いたのです。
しかし、ここまで分かったとしてもまだ安堵するには早すぎます。あまりにも否定的習慣、無意識の行為、集合的な悪影響、コントロール社会に強く捕らわれている場合、「内面で起こっていること」の複雑さに混乱してしまい、わけがわからなくなってしまうからです。このところはバシャールと見解が違うかもしれませんが、何でもポジティブに仕向けていくのもどうか、かえって機能不全を悪化させてしまうことにもなりかねないのではと感じています。それよりも、ゆがんだ精神状態を嫌悪せずにネガティブのまま放置しておいてあげるのも「愛」かなと思っています。その「愛」が現実に投影されればいいのです!だから、いつもいつもポジティブ思考のポジティブ人間にならなくたって、まったく問題ないのです。(笑
では~リバイス版「現実は意識の投影~すべてはあなたの内面で起こっている」を楽しんでください!
with love and stillness,
yukiko
追伸おまけ:百人一首の中に「さびしさに 宿をたち出でて ながむれば いづくも同じ 秋の夕暮れ」(良暹法師 りょうぜんほうし)という和歌がありました。これを「寂しくて、どうしようもなく草庵を出て 外の景色を眺めてみたが、どこもかしこも寂しさは同じ、秋の夕暮れというのはなんとも寂しいものだな~」(拙訳yukiko)と訳してみましたが、この法師様、自分の心の寂しさを、秋の夕暮れ時の様子にただ投影して観ていただけ・・・ということに気づいていたのかな?
バシャール:すべては内面で起こっていること
あなた方の物質的な現実は、何度も言っていますが、あなたの意識状態が投影されたものです。あなたの外側に何かがあるのではなく、また、あなたは物質的な現実の中に存在しているのでもなく、あなた自身の中に物質的な現実が存在しているのです。あなたの意識の中に存在しているものなのです。自分自身を体験していると思っているのも、ある一定の考え方を基準にしたひとつの概念に過ぎません。
しかし、あなた方が物質的な体験のできる特有の次元を選択したということも、私たちには理解できます。それはあなた方の言うところの「時空間の領域」に入るという体験です。しかし、「時空間の領域」とは、空間とは、時間とは一体何なのでしょうか?時空間が幻想だとは言え、あなた方は人生体験において、肉体を持った存在として、時空間の影響を受け、時空間を体験しているのは確かです。
本来、肉体を持たない魂のあなた方は高周波エネルギーであるのに、あえて、あなた方はエネルギーを低くして、この物質的なマトリックスの世界、この現実構造の中に形をとって現れてきているのです。しかし、これもあなたの意識の中で起こっていることです。あなたが物質的な現実の中のどこか特定の場所にいるということではありません。すべては内面で起こっていることです。にもかかわらず、あなた方が体験しようと選んだ世界は外に現れて見えていることも、私たちには理解できます。
内面の投影として現実を観て体験する
そこで、これだけは覚えておいてください。あなたの望む物質的な現実を選択し体験してくためのチャンスを増やしていくために、あなた本来のヴァイブレーションに調和した現実を体験していくためには、まず、物質的な現象を投影として観始め投影として体験し始めてください。それはあなた方が使っている鏡と同じようなものだと思ってください。誰だって、鏡の中に写った自分を見た時向こう側にいるのが本当の自分ではないことはわかっています。そして、鏡に映るものを変えたい時、鏡の中のものを変えようとすることではない、それもわかっています。
映し出されるものが変わるためには、自分自身が変わらなくてはならないのです。物質的な現実も同じ仕組です。物質的な現実は投影されたもの-鏡の部屋なのです。外の現実に投影されるものが変わって欲しければ、それがどんなものであれ、あなたの内なる現実、あなたの意識、あなたのヴァイブレーション、あなたのあり方を変えることから始めなくてはならないのです。
by Bashar
8 comments
難しい話ですね。自己の内面が現実を作っているから、それを変えたいなら自分が変わること。簡単な言い方ですが、すごく難しいです。何をどう変えていけばいいのか?わからないです。例えば、商売をしていてうまくいかなければ自分の中身を商売がうまくいくように変えるということですよね。それは、言い訳をせずに自分が工夫をするという理解で正しいのでしょうか?
みきみさん、今日は。
>簡単な言い方ですが、すごく難しいです。
そう思えること自体、ほとんど理解されているが故の感想だと思いますよ。
まずこうした話題に興味が無いのが多勢でしょう?(*´▽`*)
みきみさんの挙げた例を膨らませて言えば、
「ああ、商売が上手くいかない」とか、「こんなんじゃダメだ」とか、
「どうにか商売を上手くいかせたい」とか、
例えばそうした思いが心に去来しているとすると、その心のままに現実をどうこうしようと取り組むこと自体が、
バシャールからすればそれは鏡の中の世界に向かって格闘しているように見えるんでしょうね。
そういう状態になった時、実は意識の持ち方の選択肢はたくさんあって、
例えば人によって、「商売という中において、人と人との繋がりを更に楽しんでみよう」とか、
「お客さんが喜んでくれることがやっぱり好きだ。その自分の中に広がる喜びにフォーカスしてみよう」とか、
人それぞれ個性に応じて、自分の心に花が咲く、お日様が照らす感覚があると思うのですね。自分の幸せをより強く感ずる方向が。
その自分自身の「意識の持ち方」自体にフォーカスを効かせるのが、「鏡の向こうではなく、こちら側」に取り組んでいるということだと思うんです。
って、勝手にレスしちゃいました。すみません。(*ノ∀`*)テヘ
バシャールをよく知らない個人の意見なのですが、間違ってたらすみません!
どうぞお許しを~<(_ _)>
簡単な方法は、今現在が売り上げの上がっている環境をイメージする又は、今現在が達成されているエネルギーを感じる、ですかね?今現在のお金が不足とかどのようにしたらよいかは今現在、お金の集まらない世界を現実化します。接客している自分又は、行動して達成されているエネルギーをを感じる事が、目の前の世界を作ります。イメージしたり、喜んでいたりのエネルギーを感じるのが近道です。お試しあれ♡♪
みきみさんへ
現実を変えるのは自分を変えること。
実はこれが一番難しいことです。
私も長い間、この部分を変えることに取り組んできました。
そして、結局のところ、自分を変えるには今まで当たり前に(自動的に働いている)自分の考え方を変えることが必要だ、ということに気づきました。
具体的に現実世界で、何が自分を苦しめているかを追及すると、人とかお金とか仕事ではなく、結局、自分の考え方が自分を苦しめていることに気づきました。
自分の中の自分の考え方が、いつも自分をいじめ、自分をこらしめていたことに気づきました。
自分の決めた自分の考え方(嫌われたらいけない、とか、失敗したらいけない、など。)はなかなか強力で、私はそのメカニズムが分かるまでは何をやってもその苦しみからなかなか抜け出せませんでした。
この自分が決めた自分の考え方を解体するにあたって、自分が自分と自問自答して出た答えを以下に載せようと思います。
これが役に立てたら嬉しく思います。
※自分用に作っていたので(自分に向かって問いかけていたものなので)分かりずらい部分もあるかもしれません。
以下①~③です。
①【自分の人生は自分の考え方次第でその全てが決まるんだ。】
元々、自分という人間の中には自分しかいないんだ。
(人はいないんだ。)
だから、自分の中で聞こえる、色んな思いも、色んな考え方も、体の声(頭痛や疲労など。)も、全て自分の声なんだ。
そして、自分の物事に対する感じ方を決め、自分の人生を作る、(自分の人生の主導権を握る)『司令塔』も、人ではなく、『自分』であり、『自分が決めた、自分が重要視する考え方』なんだ。
つまり、自分の人生は自分の考え方次第でその全てが決まるんだ。
(だから、人生を変えたければ、自分が重要視する考え方を思いっきり変えてしまおう!)
実は、自分をいじめたり、苦しめたりする『黒幕』の正体(全ての元凶)も、人ではなく、『人がどう思うか』とか、『人からどう思われるか』、とか、『人に嫌われたらいけない』、とか、『人に合わせなければいけない』、とか、『失敗したらいけない』、といった、
『自分が決めた、自分の考え方』なんだ。
ならば、人のことを気にしたり、恐れたりする必要はない。
②【人の評価(または、自分以外のもの・・・ex.お金や仕事など。)に幸せを求めても、自分にとって良いことは何一つ無いんだ。】
基本的に『人がどう思うか』とか、『人からどう思われるか』、とか、『人に嫌われたらいけない』、とか、『人に合わせなければいけない』、とか、
『失敗したらいけない』、といった考え方は、『幸せは自分以外の所にあるもの』という考え方の基に成り立つ、”人に評価されることこそが自分の人生の全て”(逆に言えば、”人に評価されなければ幸せになれない”)、と定義する、
“『人の評価』(または、自分以外のもの)に”幸せを求める考え方なんだ。
しかし元々、どんな自分も、どんな思いも、どんな考え方も、体の声も、その全てをひっくるめての『自分』、だからこそ、人の評価(または、自分以外のもの)に幸せを求めるあまりに、
ありのままの自分の思い(正にこれこそが自分の人生の推進力であり、自分の力なんだ。)や、体の声を、”取るに足りないどうでもいいもの”として偽ったり、ないがしろにしたりして、自分が自分であることや、自分という存在そのものをことごとく否定するのであれば(正しくこれは、自分の力や自分の人生を『自らすすんで』放棄するのと全く同じことなんだ。)、
激しく自分をすり減らしたり、痛み付けたりするだけではなく、やることなすことの全てが自分の思い通りにならない為に(体調のことも含めて。)、人生に対する無力感や絶望感にさいなまれ、夢や希望も何も持てない、辛く、苦しく、惨めな人生になってしまうんだ。
(それが自分にとってどれほど過酷なことなのかは、経験上、よく分かっているだろう?)
それにも関わらず、いつまでもその考え方にこだわり続けるのなら、(心や体に際限なく蓄積し続ける、とてつもなく大きなストレスや、とてつもなく大きなダメージによって)、自分という人間が、ボロボロに壊れてしまうんだ。
つまり、人の評価(または、自分以外のもの)に幸せを求めても、幸せにはなれないんだ。
《かいつまんでいえば、{人の評価(自分以外のもの)に幸せを求めるあまりに、}自分が自分であることや、自分という存在そのものを否定することが、自分を不幸にする、直接の原因なんだ。》
ならば、人の評価(自分以外のもの)に幸せを求めるのはやめよう。
そして改めて、自分にとって本当の意味での幸せとは何か、ということをしっかりと考え直してみよう。
そもそも自分は、人の評価(または、自分以外のもの)に振り回されたり、人生を生き急ぐ為に生まれてきた訳ではない。
自分の人生を生き、自分の人生を味わう為に生まれてきたんだ。
(生まれたばかりの赤ちゃんを想像してみよう!)
③【自分の力(ありのままの自分の思い)を取り戻し、自分の人生を生き、自分の人生を味わう為には、どんな自分も、どんな思いも、どんな考え方も、そして、体の声も、その全てを”良し”(Ok)としよう。】
自分の力(ありのままの自分の思い)を取り戻し、自分の人生を生き、自分の人生を味わう為には、どんな自分も、どんな思いも、どんな考え方も、そして、体の声も、その全てを”良し”(Ok)としよう。
失敗してもいいし、嫌われてもいいし、駄目でもいい。
それに、ありのままの自分の思い(自分の力)を思いきり表現してもいいし、自分の体をいたわってあげてもいいんだ。
とにかく、自分が自分であることや、自分という存在そのものを、丸ごと全て受けとめよう!
すると自ずと、『ありのままの自分の思い(自分の力)』を尊重し、その思いに正直に生きるようになるんだ。
そうすれば、自ずと自分の力(ありのままの自分の思い)を取り戻し、自分の人生を生き、自分の人生を味わうことが出来るようになるんだ。
正にこれこそが、自分の道であり、自分の人生であり、今まで自分がずっと探し求めてきた『幸せの答え』なんだ。
(つまり、幸せは自分以外のどこかにあるものではなく、『自分の中にこそ』、あるものなんだ。
そして、自分を幸せにするのは《人の評価(または、自分以外のもの)ではなく》、”自分”、なんだ。)
ならばもう、人の評価(または、自分以外のもの)に幸せを求めなくていい。
以上です。
バシャール最大の謎は
ワクワクしないものも肯定してすべてをワクワク意識で楽しめ ということなのか
ワクワクしないものは否定して、好きなものだけ楽しんでいい ということなのか
今でも悩みます
悟ると仕事探しは必要なくなるのですかね
疑問です
https://www.youtube.com/watch?v=H14cQg1jTcs
エックハルトとか覚醒者たちは動画で語る時思考は捨ててますか?
引き寄せ願望とワクワクは思考ですか?エゴですか?
気づきの意識を本来の姿として思考をゲームとして楽しめということですか?
7年前に座禅中にいきなり無条件の愛でどんどん涙が出て止まらないことが
3度ばかり経験しましたが、あれは悟りなんですか、悟りの入り口ですか?
仮に悟りとしても、7年後の今は思考と疑問まみれでドロドロです
ああいう世界の存在をわかってはいても借金は減りません、疑問だらけです
エックハルト・トールとかムージとかいわゆる覚醒者ってよく喋るね、ペラペラと
喋るとか書くとか意志を発揮する行為は全部エゴなんじゃないの?
気づきの意識は喋らないで静かにただ在るだけだよね