すべてのスピリチュアルな教えは道しるべ! アジャシャンティ

すべてのスピリチュアルな教えは道しるべ!

今回は、アジャシャンティの動画「悟りへの道はありますか?」からの抜粋です。その中から「すべてのスピリチュアルな教えは、悟りを促すための戦略に過ぎない」という部分を取り上げてみました。

この動画には、大きく2つのメッセージが言及されていたと思います。

1)スピリチュアルな教えは「悟りへの可能性を含んだ戦略」「絶対的真理を述べているもの」であり、その教え自体に「現実」(現象的現実ではなく、本質としての現実・実存)があるのではない。それは一人ひとりが体験として見出さなくてはならないものである。

2)スピリチュアルな教えは、時に苦悩の中に「空白」を生み出してくれることがあり、その時「現実・実存」が入り込んでくる可能性がある。と同時に、人によってはスピリチュアルな教えを自分自身の体験に押し付けつけてしまい問題を生じさせてしまうことがある。スピリチュアルな教えは、役に立つものでもあり、手放す必要があることもあるものでもある。

スピリチュアルな教え:「役に立つ/手放す」

スピリチュアルな教えや手法にとらわれ過ぎると、本質から外れてしまったり、悪循環の迷路にはまり込んでかえって人生を複雑にしてしまうことがあると思います。宗教、そして何かを信じ込んでしまうことしかり、ほとんどの場合「自分をある状態に仕向けさせようとする働き」が、かえって分離感を増幅させてしまうのです。

私自身も、スピリチュアルな教えの本を種々読み続け、短編動画を配信しながら常々思っていたこと~「スピリチュアルな教えはそれを生きてこそ、自分の人生を通して体験してこそ初めてそれ自身が活きて来る」ということが、今回の動画で語られていたと思います。コインの裏表ではありませんが、スピリチュアルな教えには一見矛盾しているように思える「役に立つ/手放す」が同時に備わっています。スピリチュアルな教えの中に、自己の本質を見失わないように、柔軟性のある関係性を忘れないようにしたいものです。

with VastStillness
いつもありがとうございます。

アジャシャンティ:スピリチュアルな教えは、悟りのための戦略

スピリチュアルな教えというのは、すべて悟りのための戦略だと私は思っています。スピリチュアルな教えと言うのは、本来そういうものです。そうでないと、私たちはそれらを真理を述べているもの、あるいはその教えそのものに現実があると思ってしまうのです。(現象的現実ではなく、本質としての現実・実存)

しかし、それはありえないことです。それらは単に道しるべに過ぎないのです。この素晴らしく、大切なことを、私は禅を通して学びました。それは「月を指差している指その指を、月そのものだと間違えてはいけない」という古い教えです。ですから、その意味からも、方向を指し示す教えは、悟りを促すための戦略と言えるのです。

スピリチュアルな教えのもつ可能性と問題点

もし、誰かが悩み苦しみ、何とか頑張ろうとしていて、どうして良いのかかわからなくなっている時に、そうしたときの教えが「できることは何もない、行くべきところもどこもない、達成すべきものは何もない」というものだとします。もしかしたら、それがあなたに何かしらの気づきを与えて、あなたの苦悩と探求の狭間に何かをもたらすかもしれないのです。言い換えれば、そこにすき間、空白をつくるかもしれないのです。

苦悩の中に空白が生まれてきたとしたら、そこに現実が入り込んでくる可能性があります。しかし、「何も探求するものはない、何もすることはない、どこへ行く必要もない」ということをそのまま受け止めてしまうと、それは道しるべとしては的を得ているといえるのですが、実際は、苦悩しなくてすむ人もいるし、苦悩しなくてはならない人もいるので、私たちが自分の体験にその教えを押し付けてしまうと、問題が生じてきます。そうなると、その教えは体験から切り離されてしまうのです。

私も「あなたは苦悩する必要がない、頑張らなくてもいい」と言います。それは、本質的な現実と言うのは、あなたの想像に反してありのままにあるので、それに対して苦悩することなどできないからです。そうだとしたら、私たちはそこに近づこうとすることはできないですね。失われてもいないものを見つけることはできないからです。私たちはそういったマトリックスの中に存在しているのです。それは確固たる事実としてあるのです。

役にたつ探求、手放す必要のある探求

しかし、それに気づくためには、時には探求を手放す必要があるかもしれないし、探求が役に立つかもしれないのです。私も探求を手放しました。でもそれは、長年の熱心な探求と苦悩の末です。本当に探求し続けたのです。ですから私の場合は、精神的、感情的、更に加えると知的にも疲れ果てた末の手放しと言えるのです。だから手放すしかなかったのです。もし、誰かが私に「そんなこと全部することない」と言ったとしても、私がそれを聞き入れることができたか、それは私にもわかりません。たぶん聞き入れなかったでしょう。

ですから、スピリチュアルな教え、導きとなる教えは「可能性を含んだ戦略」「絶対的真理を述べたもの」として捉えることが大切だと思います。「絶対的真理」、それはあなた自身がそれは何なのかを見出さなくてはならないのです。それは言葉だけではだめなのです。

by アジャシャンティ

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