思考中毒への気づき
2015年9月・・・今さら「悪循環の思考」に関する動画を上げるまでもない「時」かも知れない。でも、どういったわけか高次のマインドがこれを選んだようで、即座にできました。即座にできたということは、表に出る時なのだと思います。
人々を悩ます中毒は多々あれど、中でも最もわかりづらく、万人を虜にするたちの悪い中毒は「思考中毒」。そろそろ、人類の万病の元、この中毒症に光を当ててみようか?きっといつの間にか穏やかになっているだろうから・・・。
アラン・ワッツ:「心配していること」を心配するという悪循環
まずはじめに悪循環に捕らわれた思考について考えてみよう。
最もわかりやすい現象として「心配ごと」があげられるだろう。ドクターが「あなたには手術が必要です」と言ったとする。それが決まった途端、誰もが心配し始める。心配すると、食欲がなくなり寝ることもできなくなる。もちろん、それはよくないことだ。だが、もっとよくないのは、心配することをやめられなくなり、ますます「心配」を増やしてしまうことだ。さらに、もっと馬鹿げたことに、そんな自分に嫌気が差してしまうことだ。自分が心配しているために、それが心配になってしまうだ。それが悪循環というものだ。
そこでだ・・・思考を鎮めることができるのかということになる。そんなことできるのだろうか?常にあっちこっちに飛び回る猿のような思考を、鎮めるなんてことができるのだろうか。一度考えるということを学んだ者が考えることをやめるなんて!そして大多数の人々が一生涯、思考を忙しくさせて過ごすのだ。
そして、「静けさ」に対しては極めて心地よくない感じなのだ。一人でいる時、誰からも話しかけられず何もすることがないと、それだけで不安になる。気を紛らわすものもなく、一人取り残された感じになる。そうなると自分から逃げたくなり、そして、映画を見に行ったり、お菓子を買いに行ったり、女の子と遊びに行ったり、お酒を飲みに行ったりするのだ。自分一人でいたくないからだ。自分に価値がないように思えてくるのだ。
マインドは放っておけば自然と穏やかになる
では、なぜ自分から逃げたくなるのだろうか?自分の何が嫌なのだろうか?何を忘れたいのだろうか?どうしたいんだろうか?これは「思考中毒」なのだ。麻薬、かなり危険なドラッグと言える。何かにとりつかれたような思考が止むことなく続いているのだ。それが習慣になっているのだ。だから、この習性をやめるのは確かに難しいのだ。だが、まともになりたいのならこれをやめなくてはならない。
なぜなら、四六時中しゃべっていたら、人が話していることが聞こえなくなる。最終的には、しゃべることは自分が話している話しかなくなるだろう。それと同じで、一日中考え続けていたら、その思考以外のことは考えられなくなるのだ。つまり、何かを考えるためには、思考が止まっている瞬間がなくてはならないということだ。
ではどうしたらいいのか?まず第一のルールは思考を止めようとしないことだ。なぜならそれは、鉄板を使って激流を穏やかにしようとするようなものだからだ。そんなことをしたらもっとおかしくなるだけだ。それと同じで、泥だらけの荒れた水たまりは、放っておけば自然と穏やかになる。自分のマインドを放っておくにはどうしたらよいのかを学ぶ必要がある。マインドは、自然と穏やかになっていくものだということを・・・。
by Alan Watts “The Mind”
4 comments
思考の悪循環から抜け出すためのは、思考との同一化から抜け出すのも助けになります
AMBHOさん、こんにちは!
コメントありがとうございます。
その通りですね☆
自分のマインドを放っておくにはどうしたらよいのかを学ぶとは、どうすればいいのでしょう?
yumさん、こんばんは!
お返事が遅くなりました。
1)頭のなかのおしゃべりを客観視してみること
2)そのおしゃべりは同じような話が多いこと 繰り返されていることに気づくこと
マインドを放って置けるようになる前に、このようなことに気づくことです。