「依存症・中毒」は人ごとではない
依存症、中毒症というと、真っ先に思い浮かぶのは、アルコール中毒、覚せい剤・麻薬中毒でしょうか?これらは、本人だけでなく家族や社会にも多大なダメージを与えるという、特に際立った症状があるために、中毒の中でも問題視され重症患者に位置づけされています。しかし、今回ご紹介するカナダ人医師ガボール・マテ氏は、「依存・中毒」する対象が何であれ、人が何かに「依存・中毒」するという現象の根底には共通のゆがみが潜んでいること、また、人類全体がこの不自然を極めた現代文明社会の中でどう生き抜いていけばよいのか迷路にはまり込み、そのどうしようもない苦悩・痛みから無意識に逃避してたどり着いたはけ口が「依存・中毒」という現象を増幅させたのではないかと言及しています。
依存には、さまざまな依存対象があります。薬依存、ギャンブル依存、アルコール依存に始まり、チョコレート依存、煙草依存、ショッピング依存、サプリメント依存、仕事・成功依存、お金依存、物質依存、最近では、スマホ依存、フェイスブック依存に至るまで・・・依存対象は、上げ始めればきりがないほどは多種多様にあります。そして、「依存・中毒」に関して、以前ドン・ミゲル・ルイス(メキシコ人シャーマン)が言っていた「最も重症な依存症(中毒)とは、思考に依存することである」という「思考依存」まで含めるとすれば、現代社会で何ものにも依存していない人はいないのではないかと思われるほどになっています。家族、友人、知人の中に、誰かしら極度の依存症をわずらっている人がいるというのも珍しいことではありません。スピリチュアル的に言えば、一切の依存から身を引いた人、切り離たれた人を「悟った人」というのかもしれません。
人類総依存症時代
ガボール・マテ氏は、他の動画で「人間がもっとも恐れていることトップ3」について語っていました。これも、長年重症依存患者と向き合ってきた中でわかってきたことだといいます。その人間がもっとも恐れていることとは、1)死 2)他人 3)自分自身の思考です。スピリチュアル・レッスンを重ねてきた人なら、これらがすべてイリュージョンであることは簡単にわかるでしょう。でも、これらの恐れは、人間の本質を見失い、生きた命で生きられなくなった人間同士が傷つけ合う中で拡大していったのです。
21世紀は心の時代、私たちは心のゆがみを調整して「本当の自分自身であること」「生きた命で生きること」へ帰っていこうとしています。しかし、私たちは不本意ながらも、自分の命を、自分の人生を不透明で不確実な社会システムの餌食として売り渡すという道を歩んできました。ガボール・マテ氏の言葉を借りれば、「私たちは経済的にも精神的にも、自分自身であることを応援されない社会に生きている」のです。その結果の人類総依存症現象なのです。
しかし、この究極的な依存現象にも関わらず、私たちは決して悲観的で無力に成り下がったわけではなく、今こそ本領を発揮する時であり、お互いに協力し合いながら、それぞれが命とつながった人生に軌道修正していく時なのではないかと感じています。その意味でも、今回の動画は「依存トリック」に気づき、本当の自分へさらに一歩突き進む目覚めとなるのではないかと思っています。
いつもありがとうございます。with vaststillness
ガボール・マテ:苦悩・痛みから逃れようと「依存」に走る
乱用しているものがあるとすれば、たとえそれがなんであろうと、すべては痛みをなくすためのものだ。睡眠薬、コカイン・・・なんでも同じだ。いくつかのものは確実に「鎮痛剤」だ。ところが、肉体的な痛みであっても、感情的な痛みであっても、その苦しみを感じる脳の場所は同じだ。つまり、感情的な拒否反応で悩んでいる人も、ナイフで刺されて痛みを感じている人も、反応は脳内の同じところで起こっているのだ。
エックハルト・トールは「依存(中毒)は痛みに始まり痛みに終わる」と上手く表現している。
つまり、依存症(中毒)はすべて痛みを和らげるためのものなのだ。
私の初診問診は、なぜ依存しているのかではなく「心の痛みの原因は何か」から入っていく。そして大体の場合、感情障害、トラウマがある。重症な依存症(中毒)の場合、例外なく、みなトラウマをもっている。この辺りでうろうろしている女性で、性的虐待を受けていないものは一人もいない。
依存症(中毒)にはいろいろある。セックス依存、インターネット依存、男女関係依存、ショッピング依存、仕事依存・・・これらはどれもみな苦悩から逃れたいためのものだ。
痛みから逃避せず、誰かと痛みを分かち合うこと
ローリング・ストーンズのギタリスト、キース・リチャードは、有名なヘロイン常習者だったが、彼の名言に「人間のゆがんだ行為はすべてほんの数時間でもいい自分から逃れたいというのが理由だ」
なぜ人は自分自身から逃れたいと思うのか?なぜなら、苦悩・痛みがありすぎるからだ。だから患者が「これは遺伝だ、嗜好だ、何だかんだ」と言ってきても、私は、すべては痛みが原因だと思っている。
「チベットの生と死の書」にこんな名言がある「あなたが何をしようと痛みから逃れようとするな痛みと共にあれ」。なぜなら、痛みから逃れようとすること、それ自体が痛みを増幅させるからだ。それが依存症(中毒)の実態だ。
では、どうしたら人は痛みと共にあれるのだろうか?人が痛みと共にあれるのは、誰かから同情を感じられる時だけだ。また、他の先生も言っているように「人は同情を感じられたとき、初めて真実に向き合うことが出来る」のだ。だから、依存・中毒者には同情を共鳴することが必要なのだ。
痛みから逃げずに痛みを体験することが必要なのだ。ある先生が言っているように「痛みから逃げようとする試みは、もっとも確実に地獄に向かう道となる」のだ。だから、なんとしても、その痛みと共にあらねばならないのだ。もちろん、何かしら誰かしらの助けが必要だ。
私たちは、何らかの形で、つかの間の安堵感、即急に得られる満足感・気晴らしを必要とするような社会に生きている。言い換えると、私たちは経済的にも精神的にも、自分自身であることを応援されない文化に生きているのだ。だから、いつも逃げ場が必要なのだ。
この社会で依存症(中毒)と向き合うのはとても難しいことなのだ。でも、なんとしても自分の痛みと向き合うことが大切になってくるのだ。そうすれば、何が原因だったのか本当のことが明らかになるだろう。
by Gobor Mate
2 comments
由紀子さん、アップありがとうございます。
今回はまた、チャレンジなジャンルに入って行かれましたね。
これからの展開が楽しみです。
さて、以前アップされたムージの誘導瞑想のような動画ですが、とても素晴らしいですね。
『瞑想と地球ご飯の会』での瞑想の時、初心者の方たちを誘導瞑想させていただいているので、ムージの愛に溢れた誘導瞑想はとても参考になります。
そこで、他の聖者たちの誘導瞑想をアップしていただけたらなと思ってのリクエストです。
これからもよろしくお願いいたします。
久
久さん、こんにちは!
いつも愛のサポートありがとうございます。
聖者・マスターたちの愛溢れる誘導瞑想!頑張りまーす☆
愛と感謝を込めて