瞑想をする前に・・・J.クリシュナムルティ

瞑想は目的のための手段ではない
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「瞑想」について思い巡らす時、今から15年から20年位の間に一番瞑想(迷想?)していた頃を思い出します。子どもたちを寝かせた後一人部屋に閉じこもり、電気を消してろうそくをつけ、ホワイトセージを焚き、蓮華座を組んで目を閉じて座ることを日課にしていました。瞑想グループにも参加して、さまざまなマントラや技法を学び、時には何時間も座り続けることもありました。その頃の自分は何を期待して座っていたのかを思い起こしてみると、ずばり「神との合一」です(笑 今振り返ると、その頃はかなりパラマハンサ・ヨガナンダの教えに影響されて「瞑想することによって神と繋がることができる」と努力していた時期でした。「瞑想すれば〇〇になる」と信じこんで、瞑想を目的のための手段として取り組んでいたのです。結果は言うまでもありません。

瞑想の出発点は「自己認識」から

今回のオープンクラスで「瞑想」を取り上げたのは、「瞑想」を目的のための手段として、何かを手に入れるための手法として取り組むのではなく、「瞑想状態」そのものが「目的」であり「手段」となるあり方へシフトする気づきを共に深めていきたいと思ったからです。そこでまずはじめに選んだのが、クリシュナムルティの「瞑想とは何か」という講演(1970年、K75才)の冒頭の「瞑想をする前に・・・」という部分です。クリシュナムルティの瞑想に関する教えはとても深く、どの講演を聴いても「自分が理解していることの粗末さ、自己認識の浅はかさ」に気づかされることばかりですが、それでも少しずつでも理解を深めていくしかありません。「瞑想」しようとする前に、自分の心と身体、精神の状態はどうなっているのか?思考や感情の動きをよくよく観察して、「瞑想」が自己逃避、現実逃避にならないように見張りを強化していきたいものです。

それにしても、クリシュナムルティの放つ情け容赦ないとも感じられるエネルギー!Kの教えと共に、このエネルギーを今受け取ることができる奇蹟に、ただ頭を垂れるばかりです。クリシュナムルティは90才になっても世界中を旅して講話をし続けたといいます。そして「話すのをやめた時、私の肉体は死を迎えるだろう。この肉体には、教えを明らかにするというたったひとつの目的しかないからだ」と語っていたK。肉体を去ったあとも、こうして教え続けることになろうとは・・・。感謝あるのみです。

「瞑想の出発点は自己認識である。自己認識がなければ瞑想はない」
「瞑想とは、愛の開花である」by クリシュナムルティ

クリシュナムルティ:瞑想をする前に

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サンディエゴ州立大学での講演
クリシュナムルティ 1970年

今晩はみなさんと一緒に「瞑想とは何か?」について話し合っていきたいと思います。まず本題に入っていく前に、複雑に入り組んだ問題を観ていきましょう。私たちは瞑想したらどうなるのか、そこをはっきりさせておかなくてはなりません。

私たちはつねに何かを探し求めています。特に信心深い人たちにとって、また科学者にとっても、探求することはとても重要なことになっています。私たちは何を探し求めているのでしょうか?「瞑想とは何か」に入る前に、このことをしっかり理解しておく必要があると思っています。「一体、人は瞑想しなくてはならないのか?」「瞑想は何の役に立つのか?」「瞑想するとあなたはどうなるのか?」

その前に、私たち一人ひとりが自分の探し求めているものは何なのかをはっきりさせる必要があります。「探す、探求する、追求する」などの言葉からもわかるように、私たちは「その後のこと」が多少なりともすでにわかっているものです。

例えば、私たちは「真実を探求している」と言います。信仰深い人なら「神を探求している」と言うでしょう。あるいは「完璧な人生を探求している」という人もいるでしょう。しかし、そう言えるのは、私たちが頭の中でそれがどんな形のどんなイメージのものなのか想像できているからです。そして、探し求めて見つけ出すには、その輪郭、色、中身などをあらかじめ知っている必要があるのです。ですから「探求する」という言葉には「失ってしまった何かを見つけ出す」という意味が隠されているのです。何かを見つけ出してそれが何かを認識できるということは、もともと知っていたということです。

ですから、あなたがしなければならないのは「探す」という行為だけです。ですから、第一に気づくべきことは「探求しないこと」です。なぜなら、あなたが探し求めているもの、あなたの望みは、すでにわかっているからです。もし、あなたが不幸で、孤独で絶望しているとしたら、あなたが探し求めるものは希望、仲間たち、何かしらの支えでしょう。そして、いずれ見つけ出すのも明らかです。ですから、瞑想するにあたっては一切の探求を終わらせなくてはならないのです。

by クリシュナムルティ

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