「スピリチュアル教」からの目覚め~次のステージ「信じる者」から「目覚めた者」へ

I am not religious but spiritual. 宗教は信じていないけどスピリチュアル

religionspirituality自称「宗教は信じていないけどスピリチュアル」というアメリカ人は現在人口の約20%、’80~’90年生まれのミレニアル世代に限定するとなんとそれは75%にまでなっているという統計結果があります。日本ではどのような結果が出るのかわかりませんが、確かに日本でも「自分はスピリチュアルだ」と思い始めている人は増えています。また実際、さまざまな宗教体験を経て「スピリチュアル」に目覚めたという人もたくさんいます。

ここで「宗教を信じる」という言葉を使うと境界線がかなり狭まってしまいますが、「宗教的」という言葉が包括する領域はもっと広大で「何かを信じ込んで生きる」と言い換えることが出来ると思います。そこにはさまざまな信念体系が含まれ、いわゆる「宗教・教義」を信じるという以上に、マスコミ報道やインターネット上の情報、拝金主義に至るまで「信じ込みの世界」は多岐にわたります。ですから、何かを信じないで生きるのが難しいくらい、ほとんどの人が「何かを信じて」生きているということになります。でもここでは、何かを信じて生きることが間違っているとも、何も信じないで生きていこうと言っているのでもありません。「何かを信じて成長してきた」段階が崩壊し始め、人間の意識の目覚めが次の段階に入ってきているということが、この統計を見ても明らかで、また自分の体験する現実にも如実に現れてきているということなのです。

「私は宗教的ではなくスピリチュアル」とは、誰かの体験、誰かが作った信念体系を信じて追いかけるのが「宗教的」だとすると、私たちはそこにどっぷりとまり込んで生きていくことから離れ、すべてのものと関わり合いつながり合っている一つのいのちを、自分自身の直接体験を通して感じながら生きることを「スピリチュアルに生きる」と言っているのです。

「個」の体験=「宇宙全体」の体験

Conscious-Evolution-for-the-Sake-of-Our-Future振り返ってみると私自身の人生にも「信じて成長する」時期があり、「信じる者」を様々な形で体験した時代があります。でも「信じることで学び、気づき成長してきた」段階は、必然的に通るべき道のりだったと思います。そして、スピリチュアルに目覚めてきた流れも、今思えば人類の通ってきた宇宙的なスピリチュアル・ジャーニーの一部であり、自分の人生という「個」を通して体験した「宇宙全体のプログラム」だったのだとわかります。

具体的に、私という「個」を通して体験してきたスピリチュアル・ジャーニーのプロセスを簡単に書き並べてみると、それはまるで人間の歴史、特にここ数百年間の人間の思考の進化が、私という「個」を通して一気に過ぎ去ったようでもあり、とても興味深いものだと感じています。

「信じる者」から「目覚めた者」へのプロセス(一例)

1)宗教的な教えに出会い、これこそが洗練された人間の歩む道であり、人生の王道だと信じ込む
2)宗教熱が冷めたかと思うと、今度は種々新興宗教とネットワークビジネス信仰の勧誘が矢継ぎ早に雪崩れ込み「表面的な豊かさを得るがための信念体系」に混乱する
3)ヨーガの魅力に取り憑かれ、ヨーガこそが心身霊ともに健康的本物の生き方なのだと没頭する
4)ヒーリング、浄化・クリアリング、思考の変更などが「一瞬で」人生を楽に豊かにしてくれるツールなのだと「発見」の連続に一喜一憂する
5)ヒーリング、クリアリングの終わりなきプロセスに気づき、「こうなったら幸せ」の幻想に目覚める
6)すべてはエゴの巧みな生き残りの働きによる一連の流れであったと目覚める
7)「私」という意識が「私たち」へ、「個」から「全体」へ意識が拡大する
8)すべての体験を統合して、「信じる者」から「気づき・目覚めた者」として「ただ在る」意識そのものとなる

信じ込む対象としての「スピリチュアル教」

このような体験を重ねながら、ここ数十年、スピリチュアルという言葉とそれにまつわる現象がさまざまな形で展開している様子を見ていると、私たち人間はまだまだ「何かを信じたい」衝動、恐れを原動力とした世界から離れなれないのだなと思うことがよくあります。これだけ混沌とした世界に生きていれば、当たり前と言えば当たり前なのかもしれませんが、私たちはこの世界での生き残りゲームで勝ち残るために「安全保障」を求めてさまよい歩いている中で、まだ「何かを信じる」ことで、なんとか「勝ち組」に所属しておきたいという思いを捨てられないように思えるのです。

ニュートラルなスピリチュアルな教えも一瞬で信じるための対象になり、「宗教的ではなくてスピリチュアル」とは言っても、ワクワク教とか引き寄せ教、覚醒教、瞑想メソッド教・・・など、さまざまな境界線を付けて、限りなく「宗教的なスピリチュアル」を作り上げ、結果として自分の作った境界線に行き詰まってしまうというケースがよくあります。つまり、行き着いたところは不透明な独自の「スピリチュアル教」だったということになっているのです。

「何かを信じて手に入れたいものがある」⇒「もしあなたがこれを信じたら、こうなる可能性があります」

flowers-627-182私たちは「信じること」で「安全保障」を期待しています。「これを信じたら、永遠のいのちが得られる」「これを信じたら天国に行ける」「これを信じたら悟れる、覚者になれる」「これを信じたら幸せになれる」「これを信じたら楽に豊かになれる」など、「信じ込む」システムに入り込んで「何か」を得ようとしているのです。そして世の中は、人生を保障してくれそうに見えるもの、望みを叶えてくれそうなシステムで溢れかえっています。保障を売り込むビジネスもたくさんあります。物質的な保障が欲しい人もいれば、精神的霊的な保障が欲しい人もいて、誰もに対応できるくらいのシステムはすでに出来上がっているのです。

でも、その保障はいつでも一時的なものであること、時には当てにならないということも、私たちは十分体験済みなのです。それなのに、まだチャンスが有れば次に信じられそうなものがないかといつでも目を光らせているのです。そして、人々は出回り始めた「スピリチュアル」関連の情報に出会います。そこには見たことも聞いたこともないような世界が展開しています。魅力的です。しかし、自分が根本的に「信じて何をしようとしているのか」に気づかなければ、いくら信じ込む対象を「スピリチュアル系」にしたところで、終わりなきスパイラルから抜け出すことは出来ないのです。

「安全保障」の代償は「支配関係・コントロールドラマ」

私たちが信じることで得たいと思っている「安全保障」には、いつでも代償がつきまとってきます。それは「支配・コントロールドラマ」です。どんなに素晴らしい教えに出会ったとしても、ひとたび真剣に取り組んでいこうと関わり始めた途端、何か特別意識の集団、それもかなり内輪な集団の中に自分も入ってしまって、一気に気が滅入ったという体験は、身に覚えのある人も多いと思います。気持ちの悪い感覚です。何かにはまりこんで何かを期待した結果、またもや「コントロールドラマ」に巻き込まれ、「何か違う」という感覚が浮上するのです。だからと言って、私たちは簡単にはその場から身を引こうとはしません。「何か変だ」という感覚を持ち続けながら「安全保障」を追いかけ、何かを達成しようと頑張るのです。どこかで「まだ自分は極めたわけでもないのだから・・・やれるだけやってみないとわからない」というプレシャーを自分に課すのです。

また「集団は他集団を排除することで存在し得る」という言葉があるように、何かのグループに所属することで「これこそが正しい」という排他的精神が芽生えます。私たち(私たちのエゴ)には「私は正しい、私たちの方こそ優れている」という優越感が働いて、それによって自己存在を確認するという習性があり、また自分のテリトリーを防衛したいという生存本能があるからです。でも、安全だと思っていたそのテリトリーの中でも、時が経てば簡単に内部分裂も起こってきます。分離・分裂からスタートした集団は分離・分裂に終わるのです。この分離・分裂が、信じ込む対象としてのさまざまな形の「スピリチュアル」の中でも起こっているのです。

「恐れをベースに何かを信じて生きる者」から「愛と信頼をベースに意識に目覚めて生きる者」へ

spiritual-connection-8-5-13私たちは「信じて学ぶ」「信じて気づく」「信じて成長する」というレッスンを繰り返してきました。両親や身近な大人たちの価値観・人生観を信じることから始まり、物語や神話、学校での勉強、知識の詰め込み、偉人や成功者のストーリーなど、私たちは何かを信じて成長し続けてきたのです。ただ、いつの間にかその根底に「不足感」「不十分」「未熟さ」「損得」など、自分自身に対するダメ出しが根付いていたのです。でも今、人間の意識の目覚めという大きなうねりの中にあって、こうした自己否定的な恐れの原動力から安全保障を得ようとすることは、もう何か違う、そのシステムにはもうついて行けないと感じ始めている人がたくさん出てきているのです。理由はよくわからないけど「恐れをベースに何かを信じて生きる者」を続けていくことは困難になり、「愛と信頼をベースに意識に目覚めて生きる者」へシフトしなければ生きづらくなっている、それくらいに地球のエネルギーフィールドは変化しているのです

しかし、大きな社会のシステムは今までどおり「支配・コントロールドラマ」が主流です。だから、たとえ目覚めの体験をしたとしても「社会のシステムに順応していかなくては生き残れない」という本能的な恐れの思い込みは時々やってきて、とても現実的に迫ってくることでしょう。スピリチュアルな生き方に立ち返って行く過程において、古い価値観との共存の中で直面するチャレンジはもうしばらく続くことでしょう。でも、確かなことは、チャレンジの最中にも大いなる信頼があり、愛の導きを感じられることです。このダイレクトな繋がりが、どんな時も私たちに生きる勇気と力を与えてくれると感じています。

愛と感謝を込めて
with vaststillness
yukiko hirayama

2 comments
  1. こんにちは~

    お久しぶりです。

    まさに、私自身のことを言われてるようです。

    宗教にはまり、ネットワークビジネスにはまり、
    そして、スピリチュアルへと・・・

    そのうち、
    「ワクワクって、現実逃避?」
    「ワンネスって、みんな仲良くってこと?」

    現実って何?

    スピリチュアルの言葉のイメージに
    うんざりしてきて。

    私の解釈の未熟さなんでしょうけど。

    そして、

    8)すべての体験を統合して、「信じる者」から「気づき・目覚めた者」として「ただ在る」意識そのものとなる

    そこに到達することに抵抗している自分も感じるんです。

    現実の世界で、地に足をつけて、
    ちっちゃなことに一喜一憂して。
    まだまだ、そういうものをどこかで楽しんでるのかな。
    悟っちゃたら、つまんなくない?みたいな。

    なんだか、ぐるぐるぐるぐるしています。

    いつもありがとうございます。

  2. YONGさん、こんにちは!

    コメントありがとうございます。
    6ヶ月も前の記事にコメントを頂いたおかげで、自分が読み返すキッカケをいただき感謝です!

    現実の世界で、地に足をつけてちっちゃなことに一喜一憂して楽しむことも
    悟ることも
    両方共、今ここで可能。

    ぐるぐるしているYONGがいる
    それを見ている、感じているのはだぁれ?

    いつもありがとう~!

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